今回は、心理療法の1つである内観療法を紹介する。内観療法は、元々、自らを客観的に見る技法として開発された吉本伊信氏の「内観法」を、医療、臨床心理に応用したものだ。1960年代から精神医療現場に導入されるようになり、国際的な評価も得、2003年には国際内観療法学会も設立された。
今回は、内観をより本質的に知るために、吉本伊信氏の最晩年を弟子として一緒に過ごした、東京の白金台内観研修所の本山陽一所長にインタビューを行った。その詳細は、次回から紹介することとして、第1回目の今回は、その内観の概要をお伝えしよう。
大切な3つのキーワード
内観とは、文字通り、自分自身と向き合うことだ。具体的に言えば、自分自身と関係のあった人間との関わりを、幼い頃から今日まで時系列的に下りながら、事実関係を思い出していくのだ。例えば、母や父や兄弟や家族などについて、「してもらったこと」「お返ししたこと」「迷惑をかけたこと」の3点について、ひたすら事実を思い出していく。
「してもらったこと」というのは、例えば、幼い頃、大病をした時に母親から寝ずの看病をしてもらった、とかだ。「お返ししたこと」というのは、肩こりが烈しかった母親の肩をもんであげた等だ。
こうした事実を思い出す作業を、小学校低学年、高学年、中学生、高校生、20代・・・というふうに、時系列的に区切って進めていく。対象は、つながりが強かった人から始める。一般的には、母親、父親、祖父母、兄弟、妻や夫、子ども、会社の上司というふうに、対象を絞って進めていく。
内観には集中内観と日常内観がある。日常内観は、文字通り、日常的に日々の生活の中で内観を行うこと。集中内観とは、専門の施設(内観研修所)の中で、一定期間(一般的には1週間)、日常生活を離れて集中的に内観を行う方法だ。
内観とは何か?
内観をするということは、一体何なのか? それは、自分自身と向き合って、自分の過去を見つめ、そこから自分の生活史に登場してくるすべての人々との関係を詳しく思い出すことによって、実は多くの人々との関係性の中で「生かされてきた」ということに気づくことだ。
こういう言い方をすると、何か単なる精神修養的なもの、あるいは宗教的なもののようにとらえられるかもしれないが、そうではない。
もののとらえ方が変化する時、心は大きく変化する。例えば、誰かに厳しく叱責された時、ほとんどの人はその人に対して恨みや怒りを持つが、その人が自分のことを思って叱責してくれたということが分かった時、恨みや怒りは消える。
これは些細な例だが、人生という長い時間の中でその人がずっと持ち続けているこだわりや心の歪みのようなものに変化が起きたとすれば、心や精神が大きく変化することはごく自然なことだろう。
内観療法で有効とされているものは幅広い。特に、アルコール依存症や薬物依存症、摂食障害、心身症、うつなどの精神疾患、さらに、不登校や非行などの問題、親子や夫婦間など家族の問題に対する効果が知られている。