ある業種が衰退局面にさしかかった時、その業種に所属する企業がどのように対処するかは経営上の大問題だ。どんなに真心を込めて作ろうと、顧客を大切にしようと、マーケットがなくなればどうしようもない。

 特にここ十数年のデジタル化、コンピューター化の進展によって、あっと言う間に需要がなくなってしまった製品がたくさんある。

 先だってVHSビデオテープを買いに行ったが、かっては店の入口に山のように積み上げられていたものだが、今は2階の片隅にひっそりと、ほんの少しだけ置かれていた。VHSビデオレコーダーも、DVDレコーダーやブルーレイレコーダーの売り場の片隅に申し訳なさそうに置いてあった。

 VHSビデオレコーダーの駆動部を生産していたプレス屋さんや加工・組立屋さんは、大変だろう。VHSビデオレコーダーのシリンダーは米ムーアの研磨盤しか十分な精度が出せないと言われ、その機械を何台持っているかでVHSビデオレコーダーの生産能力が決まると言われたものだ。してみるとムーアも大きな需要を失ったことになるが。

「複合継手」を作る画期的な方法とは

東尾メック(株)
〒586-0012
大阪府河内長野市菊水町8番22号

 東尾メックの前身、東尾継手(つぎて)が東尾光紹現社長の父、東尾清一さんの手によって創業されたのは、1950年のことだ。その後約30年間は順調に発展した。

 継手とは水道管やガス管などのジョイント部分のこと。継手業界は断トツの大メーカーが過半のシェアを占め、他のメーカーは皆零細という典型的ガリバー型の業界だ。だから東尾継手も、ダントツメーカーの2~3割引きの値段に製品を買い叩かれてつらい思いはしていたものの、顧客は水道・ガスなどの公共事業者。需要に大きな変動はなく、経営は安定していた。

 一方、世界的に見てもマレアブル(可鍛鋳鉄)鋳物の継手を供給する業者が少なかったため(マレアブルの生産には手間がかかる)、輸出も好調だった。内需が安定していて外需は好調なのだから、今にして考えてみれば「天国」である。

 ところが東尾光紹現社長が入社した1960年代後半から、継手業界に変化が起き始めた。鋼管や鋼管継手の内面が錆びて発生する「赤水」が社会問題化し、急に鋼管が批判にさらされることになったのだ。

 ちょうどプラスチックが大発展し、様々な分野でプラスチックへの代替が進められていった時期に当たる。当時はまだプラスチックの強度が十分でなく、管や継手自体を樹脂化することはできなかったが、内側を樹脂でコーティングした「複合パイプ」や「複合継手」のニーズが高まった。

 入社したばかりの東尾さんは継手の内面を樹脂でコーティングする方法を開発しなければならなかったのだが、どうしてもうまくいかない。樹脂が均一に付着しないのだ。