政府は早くも、一部を除いて全国の原発の運転を再開する方針を示した。しかし、事故後の混乱を見れば、政府・電力会社に事態の収拾能力が十分に備わっているとはとうてい思われない。
平和でもクリーンでも決してない原発の建設過程
また、万一の場合、原発の運転に関して国民や自治体はどういう権限を持つのか。政府や電力会社は国民に対してどういう責任を持っているのかについても明確に示されていない。こんないい加減な状態で、再開などあり得ないと考えるのが常識だろう。
振り返れば、そもそも原発という巨大プロジェクトが、原子力の平和利用、クリーンエネルギーなどと言われる反面、建設プロセスを見れば、決して“平和”でも“クリーン”でもなかったことが分かる。
この点についての検証、反省がまず先であることを、浜岡原発をめぐる1980年代の報道と出版物を例に取って示したい。
いまから31年前、1980年10月10日、毎日新聞の社会面(東京本社発行、12版)のトップに、「浜岡原発岩盤の強度」「数値操作の疑い」という見出しの記事が掲載された。
当時すでに建設されている浜岡原発1、2号機の設置許可申請時に、岩盤の強度を示すデータを意図的に操作した疑いがあるという専門家の指摘をもとに、記事は、結果として浜岡原発の耐震性に問題ありと警告を投げかけた。
浜岡原発の安全性を徹底調査した唯一の記者
当時、私は浜岡原発のある静岡県の毎日新聞静岡支局に赴任して半年ばかりの新米記者だった。記事は原発や環境問題などに取り組む支局の先輩記者が書いたものだった。
当時の毎日新聞静岡支局は、他の新聞社の静岡支局、あるいは同じ毎日新聞の他の地方支局とも違って、よく言えば記者たちは個性的で自由に独自のテーマを熱心に追うところがあった。が、悪く言えば他社が絶対に落とさないようなネタを取りこぼしたりする、統制の取れていない集団でもあった。
先の記事は、この支局の強みであり1つのテーマを掘り下げる記者の個性と力量が示された例だった。この記事をはじめ東海大地震との関係で、浜岡原発の地震対策などについては、毎日新聞、というよりこの記者だけが先行していた。
前年の79年3月に起きたスリーマイル島原子力発電所事故の記憶も新しく、浜岡原発についても反対運動は、革新政党や団体、学者らを含む市民グループらによってわき起こっていた。