短期間で全国統一を成し遂げた豊臣政権が、あっけなく解体した最大の要因 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/7) 石垣山城から見た小田原城(左下・天守は後世のもの)。遠くに相模平野が見える (画像2/7) 山崎城本丸。秀吉は山崎合戦ののち天王山の山頂に築いた城を活動拠点とし、権力基盤を固めていった (画像3/7) 山中城西ノ丸の障子堀。北条攻めの緒戦となった山中城攻略戦で、秀吉軍は屍を踏み越えるような突撃を繰り返した (画像4/7) 八王子城の大堀切。八王子城は峻険な山城であったが、秀吉は前田利家・上杉景勝に強襲を命じた (画像5/7) 姫路城に残る秀吉時代の石垣。織田軍の「中国方面司令官」となった秀吉は、この城を拠点に作戦を進めていった (画像6/7) (画像7/7) 短期間で全国統一を成し遂げた豊臣政権が、あっけなく解体した最大の要因 この写真の記事を読む