豊臣秀吉が死去したのは慶長3年(1598)の8月、関ヶ原の合戦が起きたのは同5年(1600)9月であるから、豊臣政権は秀吉の死後わずか2年で事実上、空中分解してしまったことになる。全国を統一し、二度にわたる朝鮮出兵を強行するほど絶大な力を誇った政権は、なぜ、かくもあっけなく解体してしまったのだろうか? その理由としてまず思い浮かぶのは、後継者(秀頼)が幼弱だったことである。秀吉が没したとき秀頼は数えで4歳の幼児にすぎないから、諸大名を統制してゆく力はない。ただ、歴史的に見るならば、鎌倉幕府も江戸幕府も、幼弱な後継者を擁して体制を維持できたことが何度もある。 後継者が幼弱だったことは、たしかに政