日本にある城の9割は、戦国時代の土の城だった
埼玉県嵐山町の杉山城(撮影/西股総生、以下同)
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写真1:井出の沢古戦場跡(東京都町田市)。南北朝時代の古戦場の一つ。画面右手の道路はかつての鎌倉街道だ。街道を進んでくる敵を迎え撃つため、小高い丘の上に陣を置いていた様子がわかる。
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写真2:東京都町田市の小野路(おのじ)城。戦国時代の初め頃に築かれたと推定される城。古道が走る丘の上に空堀や曲輪が残っているのだが、何も知らないとタダの丘や雑木林にしか見えない。
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写真3:新潟県妙高市の鮫ヶ尾(さめがお)城(画面中央)。戦国史ファンには上杉景虎が自刃した城として知られる。戦国時代には、このような山城が日本中に多数築かれた。
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写真4:鮫ヶ尾城に登ってみると、山の上に曲輪や空堀がいくつも残っている。山城の城内はだいたいこんな感じ。写真は空堀を写したカットなのだが、わかるかな?
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写真5:群馬県みなかみ町の名胡桃(なくるみ)城。北条氏と真田氏が奪い合った最前線の城。曲輪の中には、発掘調査で見つかった建物跡が表示されている。この建物は柱の並びから見て、兵舎か倉庫だろう。戦国武将たちは、こうした土の城を命がけで守り、奪い合ったのだ。
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写真6:静岡県三島市の山中城。空堀で囲まれたいくつもの曲輪が、複雑に配置されている。小田原の北条氏が築いた城。1590年に豊臣秀吉が北条氏を攻めた際には激戦が展開し、この場所で多くの将兵が命を落とした。
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日本にある城の9割は、戦国時代の土の城だった
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