日本には日立、東芝、三菱電機という3つの代表的な総合電機企業がある。中でも、最大手の日立は他の2社以上にこうした外野の声に耳を貸すことなく、頑として総合電機という「看板」にこだわってきた。どうしても譲れない自らの存在意義のように、歴代の経営トップは「看板」に固執していたのではなかろうか。
その日立が総合電機の看板を下ろす。まさに大転換である。
そう決断させたものは何なのか。もちろん、深刻な業績悪化が背景にある。2009年3月期の連結純損益は過去最悪となる7000億円の赤字に転落する見込みだという。トヨタ自動車と日産自動車の同期の赤字見込み額を足し合わせても、まだ足りないほど巨額なのだ。
過去10年ほど、日立は自動車関連事業に急速に傾斜してきたが、これに急ブレーキが掛かった。デジタル家電、半導体、建設機械なども世界同時不況のあおりを受け、ことごとく厳しい状況に追い込まれ、赤字は雪ダルマ式に膨らんでいる。
過去の成功体験に引きずられ、「総合電機」という枠組みにこだわり、それが結果的にはあだとなり、凄まじく大きな痛手になってしまった。こうした状況になって初めて、日立は外からの指摘にも素直に耳を貸せるようになったのだろう。
さらに決断の背景としては、ブランド力の低下があるのではないか。社名から創業者の名である「松下」を外してまでブランドの世界的な浸透を目指したパナソニックや、そもそも世界ブランドであるソニー。
デジタル家電ブームを経て、ブランドイメージを高めてきた両社とは対照的に、消費者の間で「日立ブランド」に対するイメージは高まることなく、むしろ薄れてきたように思う。前代未聞の赤字に陥り、抱える事業を精査した結果、消費者を直接相手にする商売には限界のようなものを感じたのかもしれない。
経産省が働き掛け? 産業再生の「象徴」か
「巨艦日立」の方向転換には、所管官庁の経済産業省から強い働き掛けがあったようにも見える。
公的資金を使って一般事業会社の資本増強を支援する新制度を目玉にして、政府は改正産業活力再生特別措置法(産業再生法)の早期成立を目指していた。「100年に1度」の経済危機の下、様々な角度から企業を支援し、日本の産業を再生に導くのが狙いである。
こうした中、改正産業再生法に基づいて公的資金活用を視野に入れつつ、日立が総合電機という看板を下ろすとなれば、それは官民挙げてこれから進める産業再生の象徴になり得る。「ウチには関係ない」と高をくくっているように見えた巨艦が、「選択と集中」へと大きく舵を切るとすれば、その影響は電機に限らず、他の業界にも広がるのは間違いない。経産省がそう考え、日立に促したと見ても無理はなかろう。
日立の川村会長兼社長が「脱・総合電機」を表明した2日後、4月22日に改正産業再生法は成立した。そして27日には日立と三菱電機が共同出資する国内2位の半導体メーカー・ルネサス テクノロジと、NEC子会社で3位のNECエレクトロニクスが統合を発表。その際、川村氏は「公的資金(の活用)も選択肢の1つ」との考えを示唆した。まさに一連の出来事だった。
ITバブル崩壊後、電機メーカーの多くが事業の「選択と集中」を推進してきた。日立の決断を遅すぎたとは思わないが、再生に向けた最後のチャンスとなるのは間違いなかろう。
脱・総合電機、「巨艦」はどこへ?〔AFPBB News〕
「この木なんの木 気になる木 みんなが集まる木ですから みんなが集まる実がなるでしょう」
冒頭で紹介した「日立の樹」の歌詞は、最後に「結実」して終わる。「脱・総合電機」を宣言した新生日立は、産業界再生のシンボルになれるのか。枝振りを変え、いささか小さくなるだろう大樹はさて、どんな実をつけるのだろうか。






