メイショウマンボの仔と「メイショウ」の名馬

 昨年10月にデビューしたメイショウマンボの6番目の仔・メイショウランケイ(現3歳、父・レイデオロ)は現在まで2戦0勝ですが、武幸四郎厩舎に所属しています。メイショウマンボが亡くなる直前の昨年4月9日に誕生した第7仔「メイショウマンボの2025」(まだ馬名不明)は、無事に育てば来年夏にターフに登場するかもしれません。

 そのときには武幸四郎厩舎に所属し、メイショウマンボと同じメイショウの勝負カラー、青とピンクの覆面をつけ、鞍上には同色の勝負服をまとった武豊騎手がいてほしいですね。こうした夢も競馬の楽しみのひとつなのです。

 メイショウマンボの死からひと月半後の昨年6月15日、石橋守調教師が管理するメイショウ軍団の一頭、メイショウタバル(父・ゴールドシップ、母・メイショウツバクロ)が武豊騎手を背に宝塚記念に勝利、レース後のインタビューで武騎手が語ります。

「人がつないでくれた馬の縁、馬がつないでくれた人の縁を感じる格別の勝利です」

 メイショウを代表する名馬に2007年春・秋の天皇賞を連覇したメイショウサムソンがいますが、4歳の宝塚記念まで騎手時代の石橋師のお手馬でした。武豊騎手が「格別」と強調した言葉には、優勝したメイショウタバルの母・メイショウツバクロが騎手時代の石橋師最後の勝利に導いてくれたこと、そして、長きにわたり愛情をもって接してくれたメイショウ軍団の創設者、松本好雄オーナーに対する感謝の気持ちが込められていました。

 メイショウマンボの死から4か月後の8月23日、中京競馬場での2歳未勝利戦でメイショウハッケイが勝利、松本オーナーは個人馬主としてJRA通算2000勝という偉大な記録を達成します(実は、地方競馬でも1000勝以上を記録しているオーナーでもあるのです)。そして、そのわずか6日後の8月29日、松本オーナーは膵臓がんのため87歳で泉下の人となりました。

 名将に通じる「メイショウ」という馬名は、松本オーナーの生まれ故郷・明石の「明」と自らの苗字「松本」の「松」を合体させ、「メイショウ」と読ませたことに由来しています。最優先するのは勝利ではなく、1頭の馬を通じて築かれた人を大切にするオーナーの証でしょう。

 松本オーナーの座右の銘であり、メイショウドトウが2001年の宝塚記念を制覇した際、その祝勝会でオーナー自ら述べた言葉があります。

「人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる」

 3歳時にエリザベス女王杯を制覇し牝馬の頂点に立って以降、メイショウマンボは「名馬」というより惨敗を重ねた「迷馬」という呼称のほうが似合いそうですが、マンボという女優が演じる物語を思い返すとき、私の脳裏には「気ままなヒロイン」に踊らされる馬主・調教師・騎手という脇役のみなさんが、なぜか微笑んでいるように映ってしまうのです。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)