最優秀3歳牝馬選出の後の急落
国際G1に格付けされた2010年以降、昨年までのオークス優勝馬の単勝馬券が10倍以上になったことが3回あります。
メイショウマンボの2850円は2番目に高い配当で、最高配当は2011年優勝馬、7番人気だったエリンコートの37.2倍です。なお、1990年から昨年までの35年間を通してメイショウマンボの9番人気を下回る優勝馬は出ていません。
この年、マンボ&幸四郎コンビは勢いに乗り、続いて秋華賞、エリザベス女王杯のG1レースを連覇、後日「最優秀3歳牝馬」に選出されます。武騎手にとっても、騎手人生で最高の年となったことでしょう。
しかし、メイショウマンボの名将たる戦績はここをピークに急落していきます。エリザベス女王杯以後、7歳まで3年半にわたり出走し続けますが、21戦全敗。そのうち3戦を除き、10着以下の大差負けが18回と、あのG13勝の誇り高き名牝がいったいどうしたというのだ、というほどの体たらくに終わります。
こうしたケースでは通例として、騎手を交替して気分一新を図ったり、故障を疑ったりするものですが、調教師の飯田祐史氏は毅然として動ぜず、マンボ引退前の最後の3戦を除き、鞍上を武騎手に任せ続けます(最後の3戦については、騎手引退を決めていた武幸四郎騎手が調教師試験を受けるために騎乗を返上したのかも)。
実は、メイショウマンボのデビュー戦と第2戦に騎乗していたのは騎手時代の飯田調教師本人であり、飯田の騎手引退後、マンボの鞍上は武幸四郎騎手に託されたという経緯がありました。今から29年ほど前になる1997年3月1日、18歳の武幸四郎は阪神競馬場での第1レースで騎手デビュー、6着に終わりますが、そのときに騎乗したのがメイショウユリヒメでした。
同馬の馬主・松本好雄氏と武幸四郎騎手の父・邦彦氏(騎手・調教師。2016年没)との付き合いは古く、松本オーナーにとって武兄弟は子供の頃からの顔なじみであり、幸四郎騎手のデビューをメイショウの馬で飾らせたのも自然の流れでした。
メイショウマンボは引退してから8年後の2025年4月25日に死亡します。15歳でした。