1978年、大聖堂のすぐ隣から出土したアステカ神殿「テンプロ・マヨール」 写真/フォトライブラリー
(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
1521年まで繁栄したアステカ帝国の最後
中米メキシコに「死者の日」と呼ばれ、11月1~2日の年に1度だけ、冥界から亡くなった家族の魂や祖霊が現世にやってくる伝統の行事がある。日本の“お盆”や古代ケルトに起源をもつ収穫祭“ハロウィン”に似ているが、大きな違いは、街や墓、家々にドクロの仮面や骸骨の着ぐるみに身を包んだ人々が溢れることだ。死を恐れるのでなく、死は人生の一部だとして、親しみ笑い飛ばすマインドであろう。
太陽の象徴とされるマリーゴールドの花びらで、墓から自宅に設けた祭壇まで道しるべを作る。この「死者の日」と時を同じくして、カナダ・米国から億単位もの集団をなし渡ってくるのが、黒の縁どりにオレンジ色が輝く蝶オオカバマダラで、故人の魂が蝶になって帰るのだと信じられた。
メキシコ中部の標高3000mを超える山脈で冬を越すためであり、モミの森でギッシリ身を寄せ合う蝶の群れは「最上級の自然現象」と評価され、世界遺産「オオカバマダラ生物圏保護区」(登録2008年、自然遺産)になっている。
こうした風習や信仰を生んだのが、現在のメキシコシティに14世紀に拠点を置き、スペインに滅亡させられる1521年まで繁栄したアステカ帝国である。強い太陽信仰の下で神殿ピラミッドを築き、そこに宇宙の森羅万象にやどる神々を奇々怪々な造形で祀りたてた。例えば大地母神コアトリクエは、頭部が牙をむき出した2匹のヘビが向かい合い、胸部には4個の手のひらと2個の心臓、腹部に切り落とされた女の首を飾り、流れ落ちる血のスカートを履いている。
この高さ3mものグロテスクな石像や神殿ピラミッドを、さらには人口20万人に及ぶ壮麗な都を、アステカ人は荷車や牛馬もなく石器だけで築き上げた。すでにヨーロッパでは大航海時代に突入し、日本では金閣寺が建てられ、能・茶道・生け花などの室町文化が花開いた頃である。世界が近世への扉を開こうとしていた時代に、生きていた高度な石器文明ゆえに、アステカは「地球最後の古代文明」と呼ばれるのだ。
かえすがえすも惜しいのは、ほんの500年前まではアメリカ大陸中央部に、まったく旧大陸の影響を被らずに独自に成し遂げられたアステカ文明が存在したのに、スペイン軍によって抹殺されたこと。エルナン・コルテス率いる兵士はわずか500人程だったが、アステカ人はコルテスの白い肌を見て、伝説の創造神ケツァルコアトルが帰ってきたのだと早合点した。軍団が持ち込んだ天然痘で、免疫のない先住民はバタバタと倒れる。そんななか、見たこともない馬や鉄剣をもった騎兵、火縄銃の威力にアステカ帝国はひと溜りもない。首都テノチティトランは微塵もなく破壊され消えていった。
今回紹介する世界遺産「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」(登録1987年、文化遺産)は、アステカの廃墟の上に建設されたスペイン風の街メキシコシティと、水郷地帯ソチミルコだ。実は帝都テノチティトランは、巨大なテスココ湖に浮かぶ小島にあった。スペイン人は浅い湖を埋め尽くして、新大陸における植民都市のモデルを造り上げ、それが人口2000万人を超える巨大都市へと膨張しつづけている。
ソカロ広場に面してメトロポリタン大聖堂や国立宮殿が建つ碁盤目状の街に、もはやアステカの痕跡はない。かつての面影を偲ばせるのは、テスココ湖の一部が残り、今も“チナンパ”という特異な浮き畑を営むソチミルコなのだ。

