震災の爪痕と加賀、能登の伝統

 さて、この頃は何かと「専門家」が好まれるようですが、私は西欧音楽の人間で説教は単なる聴き手に過ぎません。

 ただ、5~6年フィールドワークして「笑う親鸞」のような本(2012年 河出書房新社)を出したことはあり、先生のお寺、石川県・能登半島、輪島市門前町の満覚寺に泊めていただいたこともありました。

 今回ももったいないことに廣陵先生と奥様の和子さんからご連絡をいただいて、西本願寺にお参りしてきました。

 私が「笑う親鸞」のフィールドワークで加賀や能登を回ったのは2006~2009年頃にかけてでしたが、当時はまだ「真宗王国」石川県の各地で「説教大会」が開かれていました。

 かつて、冬のこの地域では「説教所」を回る僧侶や旅芸人が農閑期の民衆に豊かな芸能を提供していました。

 福井県出身、というより越前が在所の作家・水上勉さんは「はなれ瞽女おりん」(1974)などの作品で旅芸人の姿を描き、これを映画化した篠田正浩さんの映画「はなれ瞽女おりん」(1977)では、本物の芸人が多数呼び集められ、篠田さんはフィクションでもノンフィクションでもない、大変な作品を描きだされました。

 水上さんも篠田さんも生前お目にかかったことがあり、2つの「おりん」は、武満徹の音楽と合わせ、私に決定的な影響を与えてくれました。そこには「随行修行」が描かれています。

 廣陵兼純先生は、随行修行を経験されたおそらく最後の世代と思われます。

 昭和12年、石川県輪島市門前町「広岡」に生まれた廣陵先生は、大谷大学ご卒業の昭和35年から5年間、昭和の大名人と呼ばれた範浄文雄師に随行修行されました。

 昭和39年に独立され、能登の満覚寺住職の傍ら、全国を回って説教を続けてこられました。

 実は、先生が学生時代を送られた昭和20~30年代、宗門では「節談」を過去の好ましくない説教法として、排除する動きが盛んでした。

「ちょんがれまがいの説法」などとして、宗門リーダーたちに節談が否定されていた経緯については、17年ほど前にこんな原稿も書いていましたので、ご参考にしていただけたらと思います。