高市首相は「村山談話」の継承を表明した(写真:つのだよしお/アフロ)
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高市早苗首相が国会で、先の戦争に関する日本政府の歴史認識について、「村山談話」を継承すると答弁しました。高市氏は首相に就任する前、村山談話に含まれる「侵略」という語句に再三疑問を提示していましたが、首相になってその姿勢を封印した形です。では、この談話とはどのようなものなのでしょうか。過去の戦争責任が議論されるとき必ず出てくる「村山談話」をやさしく解説します。

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「村山談話」とは?「侵略」認め「痛切な反省」と「心からのお詫び」

 村山談話とは、戦後50周年を迎えた1995年8月15日、当時の村山富市首相が閣議決定を経て発出した談話を指します。談話の正式名称は「戦後50周年の終戦記念日にあたって」。英文のタイトルは「Statement by Prime Minister Tomiichi Murayama "On the occasion of the 50th anniversary of the war's end"」となっており、「声明(Statement)」と称した方がこの談話の重みが正確に伝わるかもしれません。

 当時の政権は、自民党・社会党・新党さきかげの3党による「自社さ」連立でした。首相の村山氏は社会党(現・社会民主党)。内閣官房長官の五十嵐広三氏、村山談話が発出される直前の改造内閣で官房長官になった野坂浩賢氏もともに社会党でした。

 一方、外務大臣の河野洋平氏はじめ、文部大臣、法務大臣、通商産業大臣などは自民党。大蔵大臣は新党さきがけが担う形になっていました。現在のものさしで言うと、いわゆるリベラルな性格を帯びた政権だったと言えるでしょう。

「村山談話」を発表した村山富市元首相。2025年10月17日に101歳で死去した=2007年撮影(写真:ロイター/アフロ)

 村山談話は全体で約1300文字です。戦後50年を経て、「平和で豊かな日本となった」としたうえで、「私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません」と強調。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、この平和を確かなものにしていかねばならないと呼び掛けました。

 そのうえで、談話は次のように続きます。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」

 村山談話は、アジア地域に対する日本の「植民地支配」「侵略」を疑いようのない「歴史の事実」と認定し、「痛切な反省」に基づいて「心からのお詫び」をするという内容でした。

 文章の流れは極めて明快ですが、この内容がのちに、さまざまな議論を呼び起こすことになります。とくに自民党内外の保守派は強く批判。日本政府が閣議決定を経て、「植民地支配」と「侵略」を認め、関係国に「心からのお詫び」をしたという点に反発しました。

 その急先鋒の1人が高市氏でした。