Gerd AltmannによるPixabayからの画像
AI導入の検討はすでに過去のお話
米オープンAIが生成AIの最新版「GPT-5」のサービスを始めてからもうすぐ3か月。
社会はすでにAI導入を検討する段階から、AIを前提として設計する段階へと進みました。企業も学校も行政も、GPT-5をどう生かすかを軸に仕組みを再構築しています。
もはやAIを使うかどうかではありません。AIとどう共に進化するかが問われています。
AIに仕事を奪われるのではなく、AIを使ってどうやって我々は、進化していくかという段階に来たのです。
この変化の本質は、技術の進歩ではなく、人間の知性のあり方そのものの変化にあります。私たちはいま、AIとの共進化という新しい時代の入り口に立っているのです。
GPT-5は、もはや答えを探す存在ではなく、考えることを代行する存在になりました。
例えば、GPT-5を導入しているある大手コンサルティング会社では、クライアントの経営課題をGPT-5に入力すると、数秒で10パターンの戦略案と、それぞれの財務シミュレーションが出力されます。
人間のコンサルタントが行うのは、その中から最も納得できる案を選ぶだけです。
このような思考の外注化は、研究や報道、政策立案など、知的領域全体に広がっています。AIが分析し、AIが文書を作り、AIが要約してAIが読む――。
そんな自己循環型の知的生産が、いま現実に動き始めています。便利である一方で、この流れは人間の思考力を奪う危険もはらんでいる、と言ってもいいでしょう。
AIが答えを提示してくれるほど、人間は考える必要を失っていくのです。思考のスピードは上がるが、思考の深さは失われます。
この流れに抗うには、問いを立てる力を取り戻すことがカギになるでしょう。AIはどんな質問にも答えを出します。しかし、何を問うべきかは、人間にしか決められません。