34歳での死

 明治24年(1891)11月、ハーンとその妻・小泉セツは、松江を出て熊本に転居したが、西田千太郎との親交は文通によって続いた。ハーンの創作活動に対する助力も、引き続き、行なっていた。

 西田千太郎への感謝の念を著わしたのか、明治28年(1895)に出版された『東の国から』において、ハーンは「出雲時代のなつかしいおもいでに 西田千太郎へ」と捧呈している。

 西田千太郎とハーンの親交は、ハーンと小泉セツが熊本から神戸、東京へと移り住んでも変わることはなかった。

 しかし、西田千太郎は明治30年(1897)3月15日、34歳の若さで、病のため、この世を去ってしまう。両親、妻、4人の子どもを残しての、無念の死であった。

 だが、ハーンの心に、西田千太郎は生き続けたようである。

 小泉節子『思ひ出の記』によれば、ハーンはセツに、「今日途中で、西田さんの後姿見ました。私の車急がせました。あの人、西田さんそっくりでした」と話したことがあった。

 また、ハーンは明治37年(1904)に早稲田大学講師として招聘されているが、その時、学監の高田早苗が西田千太郎にどこか感じが似ていると、たいそう喜んだという。

 ドラマの錦織友一も、トミー・バストウが演じるレフカダ・ヘブンの、よき友となるのだろうか。