諦め、失望した。でも抵抗する

 ことし9月17日に東京地裁で行われた「311子ども甲状腺がん裁判」の第15回口頭弁論。その法廷で意見陳述した、いわき市出身の原告女性の言葉を続ける。

 裁判のためにカルテを開示すると、1回目の検査の時は、がんどころか、結節もありませんでした。わずか2年で、1センチのがんができたのです。しかも、リンパ節転移や静脈侵襲がありました。

「事故前からあった」という医師の発言は嘘でした。この事実を知り、私の精神状態は悪化し、提訴後、会社を辞めました。

 私は9年前、手術の前日の夜、暗い部屋で1人、途方もない不安や恐怖を抱えていました。その時、私の頭に浮かんだのは、「武器になる」という言葉でした。

 私は当時、「甲状腺がんの子ども」を反原発運動で利用する人に怒っていました。私は、大人たちの都合のいい「かわいそうな子供」にはならない。なにがあっても幸せでいよう。そう思いました。

 不安と恐怖と混乱で溺れてしまいそうな中、手繰り寄せて掴んだものは、怒りです。尊厳を侵された時、怒りが湧くのだと知りました。

 それをかすがいに、甲状腺がんへの不安を乗り越えた高校生の時の私と共に、今、私はここに立っています。

 でも大人に利用されたくないと、強く願っていた私は、気づくと、国や東電に都合のいい存在になっていました。胃がねじきれそうなほど、悔しいです。

 私が受けてきたものは構造的暴力です。命より、国や企業の都合を優先する中で、私たちの存在はなかったことにされていると気づきました。

 私たちは論争の材料でも、統計上の数字でもありません。甲状腺がんで、体と人生が傷ついた私たちは、社会から透明にされたまま、日々を生きています。

 私にとって福島で育つということは、国や社会は守ってくれないということを肌で感じることでした。十分すぎるほど諦め、失望しました。でも、私は、抵抗しようと思います。

 命と人権を守る立場に立った、どうか独立した、正当な判決をお願いします。