7月の参院選大阪選挙区。主要政党が4枠をめぐってしのぎを削った激戦に「完全無所属」という立場で参戦した候補者がいました。前・大阪府四條畷市長で、当時、全国最年少市長として注目を集めた東修平さんです。
今回のYouTube番組「西田亮介の週刊時評@ライブ」では、東さんがゲストに登場!なぜ、主要政党に属さない厳しい戦いをあえて選んだのか。その戦いに敗れた36歳は、これからどんな道を歩もうとしているのか。MC・西田亮介さん(日本大学危機管理学部教授)が、たっぷり掘り下げて聞きました。
※収録日は2025年9月12日。詳しい内容は、JBpressの公式YouTube番組「西田亮介の週刊時評@ライブ」でご覧ください。
「全国最年少市長」はなぜ2期8年での退任を決断したのか?
西田亮介氏(以下、西田氏):東さんは今、何をなさっているという理解でよろしいんでしょうか。
東修平氏(以下、東氏):公式見解は「無職」ということになっているんですが……。
さすがにそれでは生きていけませんので、いま少しずつ企業のみなさんなどから仕事を少しずつもらいながら生活しているところです。
西田氏:顧問というような形で。
東氏:顧問というほどの年齢ではないんですが。行政と民間企業の隙間っていうのはかなりありますので、そこを埋めていくというような仕事をさせていただいています。
西田氏:政治の世界でいろんな挑戦をされてきた東さんですが、すごく印象に残っているのが、市長退任の時ですね。本当にあと腐れない、立つ鳥跡を濁さずで、こんなにすっきり辞めてしまわれるものなのかと。大変お若くていらっしゃる。2期8年は確かにキリがいいですが、市長を続けてもっと地元をよくするっていう選択肢もあり得たと思うんですね。
そして、参院選大阪選挙区になぜ無所属で挑戦したのかっていうのを、やっぱり多くの人が思うと思うんです。
2017年の大阪府四條畷市長選で初当選した東修平氏(写真:共同通信社)
東氏:参院選の大阪選挙区に完全無所属で挑戦したことと、2期8年で市長を退任したことは、実はまったく別事象なんです。国政に出たいから市長を辞めたとかでは一切ない。これはもう本当にそうです。2期8年で市長を退任したのは、やはり公約を一定達成したということがあります。
私は、権力というのは必ず腐敗するものだと思っています。歴史上どんな優れたリーダーも、晩節はなかなか……っていうことが多い。もう歴史が証明していることなのかなと。
そういうことを考えた場合に、どこかで区切りは必要であろうと思っていました。
四條畷市は財政が厳しかったので、私は市長としてかなり行革を進めてきました。その結果、財政状況がよくなってきた。今度は未来への投資をしていかないといけない。
そうした時に、あれだけ削減とか行革をやってきた人間が、じゃあ未来への投資をしていこうって言うのは、住民のみなさんの心情的にも難しい部分があると思いました。
「1内閣1仕事」って、あれはよく言ったもんだなと思いますね。メッセージっていうのは、多重になると伝わらない部分がある。私は、財政を立て直して、人が移り住んでくれるまちにしていくんだということを言って達成したならば、次の魅力づくりは次のリーダーに託すべきだろうというのが、主に退任を決断した理由です。