標高2500mの小盆地に位置するバーミヤン渓谷 Alessandro Balsamo, CC BY-SA 3.0 IGO, via Wikimedia Commons
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(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)

大仏破壊はアメリカ同時多発テロ「9.11」の前触れ

 アフガニスタンの中央部、標高2500mの小盆地にバーミヤン渓谷はある。白銀に輝く5000m級の山並みを遠景に、赤茶一色に彩られた断崖が1.3kmつづく。そこに750もの石窟が穿たれ、東西の要となるよう両端近くに2体の大仏がそびえている。開けた谷には、雪解けの水が流れ、春から夏にかけて緑のじゅうたんが覆い尽くす。嶮しい雪山を越えて、この光景を目にした旅人は、仏教の“浄土”にさ迷い込んだ如き夢を見たことだろう。

 現在は畑になっているが、かつて斜面には寺院や仏塔がたち並び、石窟はカラフルな壁画であふれ、谷全体が数千人もの僧たちが暮らす一大仏教センターだった。

 世界遺産「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」(登録2003年、文化遺産)は、そんな風景と調和のとれた仏教遺跡であり、紀元1~13世紀にかけて築かれたガンダーラ美術の傑作なのだ。

 こうした繁栄が生まれた理由は、バーミヤン渓谷が古くからインドと中央アジア、ペルシャを結ぶシルクロード沿いの宿場(オアシス都市)であり、交易の中継地であった故だ。アレクサンドロス大王がインダス川に至る東方遠征をした際にも、チンギス・カン率いるモンゴル軍が攻め込んだ時も、この谷を通っている。

「西遊記」の三蔵法師のモデルになった唐の僧侶・玄奘(げんじょう)は、西暦630年に立ち寄り、岩壁に彫りぬいた摩崖仏2体について「大唐西域記」に記している。“釈迦”とされる東大仏は高さ38m、西大仏(“弥勒”と考えられる)は高さが55mもあり「金色にかがやき、宝飾がまばゆい」と。

 バーミヤンが最盛期だった6世紀に、2体の立像は造られた。崖から削り出した体に泥土で肉付けし、その上に漆喰を塗って衣文を浮き立たせた。玄奘が訪れた頃には、すでに近隣に聞こえる名勝になっていたらしい。これほど巨大な仏像は、仏教が生まれたインドに例がなく、バーミヤン大仏は、その後アジアで造立される巨大仏のルーツになった。奈良の大仏(高さ15m・金銅仏)も一説には、この話が遣唐使によって日本に伝えられ、聖武天皇が752年に東大寺で開眼させたという。

 2001年3月、1400年以上に渡ってバーミヤン渓谷を見守ってきた大仏が、木っ端微塵に爆破される衝撃のニュース映像が世界中に配信された。アフガニスタンを支配していたタリバン政権は、イスラムの偶像崇拝禁止に反するとして、国連総会の破壊中止を求める決議やイスラム指導者の批判に一切耳を貸さず、破壊を強行したのだ。

 大量の爆薬が仕掛けられた摩崖仏は、くぐもった“ズドーン”という破裂音を響かせ、もうもうと巻きあがる土煙の中で、跡形もなく消えた。男たちの「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫び合う声だけが、虚しく木霊した。

 東西の大仏だけでなく、真ん中にあった7mの坐仏まで粉砕された日付はハッキリしていない。けれど多くの人々が、爆破は「3.11」だと推察している。それは、世界貿易センタービルに旅客機が突っ込んだ史上最悪のテロ「9.11」のちょうど6カ月前の同じ日に当たるのだ。国際社会の注目を集めるために企てたタリバンの大仏破壊は、アメリカ同時多発テロへの前触れとなり、9.11の蛮行につながっていく。