参院選で大躍進を遂げた参政党が投票日翌日に新橋で集会(7月21日、写真:ロイター/アフロ)
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 今般の参議院議員選挙では、多くの政党への票の分散が進んだ。これに大きく寄与したのがSNSだと指摘されている。

 SNSにも多くの種類があるが、若年層の間で特に影響力が高いのがショート動画だという。

 新聞の論評やテレビのニュース解説に比べ、ショート動画は内容を深く考えさせるよりも、瞬時の印象によるアピールが大きいという点が特徴である。

 これによって、政治選択においても、どのように感情に訴えるかが大きな影響力を持ってきているのは確かであろう。

 日本のみならず、米国におけるトランプ現象、欧州におけるポピュリズム政党の躍進なども、同様の影響を受けていると解説されることも多い。

 これらの現象は、今や安全保障面でも世界を大きく揺るがしている。

 筆者は、ここ10年ほどハイブリッド戦や認知領域の戦いについて研究を続けてきた。

 その上で感じるのは、ここで一概に「感情で判断するのはよくない、しっかり論理的に熟考すべきだ」とのみ、一方的に断ずることでは、問題は解決しないということである。

 人間が生きていく上で何らかの判断を行う際、論理だけでなく感情も交えて判断するのは自然なことであるし、そこにこそ人間性が現れると見ることもできる。

 長い歴史の中で、人間は感情と論理の間にどのように折り合いをつけるのか、試行錯誤しながら文明を発展させてきた。

 その大きな流れの中で見た時、現代という時代は一つの転機になっており、それが世の中に混乱をもたらしているようにも思えるのである。

 以下、これについて少し掘り下げて考えてみたい。

人間はどのように人間になったのか

「人間を他の動物と隔てるものは何か」

 この疑問に対して、歴史上多くの哲学者たちが議論を戦わせてきた。

 従来、哲学者たちは、人間の内面を深く掘り下げることによって、この疑問に答えようとしてきた。

 しかし近年、動物学、心理学、言語学、生理学などの各分野で研究が進むにつれ、この問題への答えが一定の方向に収斂しつつあるように思われる。

 ここで個々の研究について触れる紙幅はないが、結論だけ述べると以下のようになる。

 動物というものは、もともと環境の中で自己が生き延びることで進化してきたわけで、言ってみれば自己中心的、「ジコチュー」の存在である。

 つまり、動物には自己と環境の2つしかなく、同種の個体であれ、親や子であれ、他者はすべて環境の一部である。

 この環境をよりうまく活用できる能力を持つ個体が生き残り、その他が自然淘汰されることで動物は進化してきた。

 これに対して、人間は進化のある段階で、同種の個体、つまり他の人間が、自己と同じような意識を持つ存在であることに気付いたのである。

 この気づきによって、他の人間は単なる環境の一部ではなく、自己とともに環境に立ち向かう存在となった。

 この気づきと言語の使用のどちらが先行したのかは定かではないが、その両者によって人間は他者とコミュニケーションを取って環境に立ち向かうことが可能だと学んだ。

 言語の使用により、自己の意識と他者の意識は同等のものだということがさらに明確に認識されるようになり、自己と他者から成る社会を構成することが可能になった。

 そして同時に、自己と他者に共通する認識があることへの気づきから、自分だけの「主観」ではない「客観」によって世界を見ることも可能になったのである。

 この「客観」こそが、人間を他の動物から隔てるものであり、これによって人間特有の論理的かつ科学的な思考が可能となった。