通天閣に取り付けられた虎のマーク=2005年8月(写真:共同通信社)
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 プロ野球は、競技の魅力に加えて、野球ファンに多様な愉しみを与えてきた。球場内での食事やグッズ、応援、さらには野球にまつわる批評、評論、文学など「野球文化」の広がりは大きい。そのなかであまり話題になることが少ないが、野球にまつわる「デザイン」も「野球文化」の重要な要素だといえる。

 明治初期に野球が伝来して以来、日本では、野球にまつわる多くのデザインが考案されてきた。東京六大学など大学野球は、それぞれにチームカラーを設定してそのカラーを取り入れたユニフォームや応援旗などで、対抗戦を盛り上げた。

 1936年に「職業野球」が始まる。初年度参加した7チームは、それぞれ親会社や本拠地にまつわるマークを付けたユニフォームをデザインして、プレーをした。

設立当初から変わらない阪神タイガースの基本デザイン

 戦後になると多くの企業がプロ野球に参入し、新しいマーク、デザインのユニフォームがグラウンドをにぎわせた。

 昭和の時代、ユニフォームは「ホーム」「ロード」の2種類だった。またデザインは数年は変えないのが普通で、選手が退団するとユニフォームを回収して背番号やネームを変えて新しい選手に支給することも多かった。

 平成以降、プロ野球が地域密着のマーケティングを展開してから、様々な「期間限定ユニフォーム」が作られるようになった。ファンはレプリカユニフォームを着用して観戦するのが一般的になった。またユニフォームそのものが安価に作ることができるようになったこともあり、イベントで観客にレプリカユニフォームを無料配布することも多くなった。

 今のスタジアムではチームにまつわるデザインアイテムが、氾濫していると言ってよい。チームカラーやマークのデザインまで、大胆に変えることも珍しくない。

 そんな中で、一貫したデザインイメージを持続しているのが、阪神タイガース(旧タイガース、大阪タイガース)だ。