「ガバナンス」「全体最適」「パフォーマンス評価」
例えば、国防を担う行政機関は文民統制(シビリアンコントロール)により、選挙で選ばれた政治家が最終的な意思決定の権限を有する国が多数派といって良いでしょう。
ちなみに、戦前の日本の軍部は統帥権をたてに実質的な「独立性」を獲得したことで暴走し、日本を破綻に追い込んだとする見方が戦略家の間では定説になっています。そう考えると、金融政策を担う行政機関である中央銀行に限ってそうした統制が無用と考えるのは、ある種のバランスを欠く見方に感じられます。
また、「省益あって国益なし」という言葉が象徴するように、縦割り行政の問題は洋の東西を問わず指摘されるところです。中央銀行についても、特にリーマンショックのような経済危機を経て、インフレ目標などの「狭義の政策目標(マンデート)」だけでなく、政府と連携してより広い役割や危機対応が求められるようになっています。
つまり、中央銀行としての使命だけを考えて動く「部分最適」ではなく、国益を考えた「全体最適」がより求められるようになっているようです。
そして、国の一行政機関に過ぎない中央銀行へのガバナンスを機能させ、適切な活動を促し、時にその独善を牽制するには、厳格なパフォーマンス評価が重要になります。ちなみに、パウエル議長のこれまでの実績を振り返ると、コロナ禍後の世界的なインフレ局面では「インフレは一時的」と判断して利上げのタイミングで大きく出遅れるなど、そのトラックレコードはお世辞にも褒められたものではないでしょう。
トランプのパウエル攻撃、実は真っ当?
こうした観点から改めて考えると、①日本の総理大臣と違い直接選挙で選ばれる国家元首であるトランプ大統領が、ガバナンスの観点からFRB議長の去就に口を出すのは、巷でいわれるほどの違和感はないように思われます。また、②省庁間の縦割りを排した全体最適の観点からは、トランプ大統領が進める経済政策の副作用の緩和、援護射撃をFRBに期待するのは、至極真っ当なものとすることもできそうです。
そして、③パフォーマンスレビューの観点からいえば、表現の是非は置くとしても、トランプ大統領がパウエル議長に辛口な評価をするのも致し方ないように思われます。
現在のトランプ大統領とパウエル議長の関係は、好ましいものとは言い難いように思われます。もちろん、利下げを拒むパウエル議長を「愚か者で何も分かっていない(A fool, who doesn’t have a clue)」と切り捨てるトランプ大統領の物言いには閉口させられます。
しかし、「今後の金融政策はデータ次第」と繰り返していれば十分なこの局面で、わざわざ「トランプ大統領の要求は全く影響しない(Doesn’t affect at all)」と言い放つパウエル議長の対決姿勢も、同様に大人げない対応に思えてきます。
過去の判例を盾に「私を解任することはできない」と明言するパウエル議長ですが、かつてニューヨークの大手弁護士事務所デービス・ポークで企業金融の分野で活躍した辣腕弁護士らしく、「理詰め」で自身の正当性を主張することには長けているようです。
しかし、米国全体を俯瞰して、「インフレと雇用」という狭義のFRBの政策目標よりもさらに重要な米国の国益のためにホワイトハウスと連携するような姿勢は、現状ではほとんど見られないように思われます。