日本側に欠けていた「戦争の終わらせ方」
井上:ここであらためて考えると、深刻だったのは、日本側に戦争終結の構想が開戦時点で欠落していたことです。
日本はワシントンやニューヨークを占領するといった大戦略を抱いていたわけではありません。真珠湾攻撃の成功に幻惑されて、真珠湾を占領して講和交渉の取引材料にするという具体的な計画はありませんでした。戦果を前に、講和への道筋を描くことはなかったのです。
戦争を始めるにあたっては、その終わらせ方までを出口戦略としてセットで構想すべきです。それが欠けていたので、日本は大きく混乱することになりました。戦後になって、当軍部内で講和構想がなかったことを自己批判している旧軍人の証言記録が残っています。
戦争終結の構想がなければ、最後の決戦をどこでどのように行うかという意思統一もできようがありません。陸海軍間の連携は乱れる一方で、戦争がずるずると長引く結果を招きました。
──書籍の最後に「今後、日本は平和国家を再構築させなければいけない」と書かれていました。今現在、日本は「平和国家」ではないのでしょうか。
井上:第二次世界大戦終結後、日本は自らが起こした戦争を反省してきました。多くの日本人は「あれは日本の侵略戦争だった」と受け止め、だからこそ「日本が再び戦争を起こさなければ世界は平和である」と考えたのです。
このような考えのもとで、日本は憲法の前文と第9条によって戦争を放棄しました。その結果、「日本は平和国家である」と自国像が語られるようになりました。
確かに、日本が再び戦争を起こすことはなくなりました。ただ、現実を見れば、戦争が世界からなくなったわけではありません。日本の敗戦からわずか5年後には、すぐ隣の朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発しました。中国では国共内戦が続き、東南アジアでは民族解放戦争が相次ぎました。さらにその後も、世界各地で戦争や紛争が絶えませんでした。
日本が戦争を放棄したからといって、世界が平和になるのではなかったのです。

この本の結びでは、そのような視点から「平和国家としての日本の再構築」の必要性を訴えました。終戦直後の「侵略の反省」の姿勢は否定すべきものではありません。けれども戦争を放棄するだけでは不十分であり、「世界の平和にどう貢献するのか」という視点が不可欠です。
この点について、私は作家・村上春樹さんの湾岸戦争期の発言に深く共感します。彼は、「日本は事実上の軍隊を持ちながら、平和憲法を盾に国際協力を拒むのはおかしい」と述べました。私も同様に、平和憲法を持つからこそ、日本に何ができるのかを明確にし、それを実行すべきだと考えています。
たとえば、現在続いているウクライナ戦争やガザ紛争に対して、日本が平和国家を名乗るならば、こうした紛争を終結し、平和の構築に貢献するにはどうすべきかを考えるべきです。現実に即した具体的な政策を実行に移してこそ、ようやく日本は「真の平和国家です」と胸を張って言えるのではないでしょうか。
これからの日本は、過去の100年の歩みをふまえ、平和国家の自国像を問い直し、国際的な責任を果たす必要があると思います。
井上寿一(いのうえ・としかず)
学習院大学法学部教授
1956年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。学習院大学学長などを歴任。専攻は日本政治外交史。
関 瑶子(せき・ようこ)
早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。素材メーカーの研究開発部門・営業企画部門、市場調査会社、外資系コンサルティング会社を経て独立。YouTubeチャンネル「著者が語る」の運営に参画中。