岡崎さんは祖母の家に身を寄せて生活していたが、12月20日に祖母が部屋で見たのを最後に行方不明になり、家の窓ガラスが割られているのが見つかっている。だが、警察は「事件性はない」と説明。親族が、防犯カメラを確認してほしいと求めても応じなかったとされる。

 行方不明になったあと、警察は白井容疑者に7回にわたって任意の事情聴取を行っているものの、いずれも関与を否定。その後、同容疑者が所在不明となり、海外に出国していることを知った警察は、ストーカー規正法違反の疑いで捜索令状をとり、4月30日に容疑者の自宅を家宅捜索。床下のバッグの中から遺体が見つかった。

 白井容疑者は、米国から帰国した5月3日に、死体遺棄の容疑で逮捕されている。

白井秀征容疑者が逮捕された5月3日、川崎臨港警察署に駆け付けた岡崎彩咲陽さんの家族や友人ら(写真:産経新聞社)

 この一連の警察の対応に問題はなかっただろうか。確認しておきたいのは、坂本弁護士一家殺害事件のケースだ。

「自発的に失踪した可能性」に囚われた警察

 横浜市磯子区で暮らす坂本堤弁護士の自宅アパートに、オウム真理教の幹部信者ら6人が侵入したのは、1989年11月4日の午前3時過ぎだった。就寝中の坂本弁護士(当時33歳)、妻の都子さん(同29歳)、長男の龍彦ちゃん(同1歳)の一家3人を、首を絞めるなどして殺害。遺体を運び出し、それぞれ新潟、富山、長野の山中に埋めた。

 坂本弁護士は当時組織された「オウム真理教被害者の会」の世話人であり、信者の脱会支援や教団の反社会性を訴えて活動していた。

 連絡の取れなくなった親族は磯子警察署に一家の失踪を届け出て、「失踪事件」としての捜査が始まった。

 当初からオウム真理教の関与が取り沙汰され、しかも失踪後のアパートの部屋には「プルシャ」と呼ばれる教団のバッジが落ちていた。のちに実行犯の一人が現場で落としたものと判明する。しかし、県警の捜査は遅々として進まなかった。当時の神奈川県警の刑事部長は、「一家は自発的に失踪した可能性がある」とまで言及していたという。