知事は、イベントは夜にやるから、鹿は山に帰るだろうし、大音響の場所には近づかないようだ。それに過去にもおなじようなイベントをやっているが、トラブルがあったとは聞いてないので、鹿の問題は「そんなに大きな問題はないのではないかと思っております」と答えている。

 また、「芝生等が踏みつけられるというのは当然あり得」るが、「しばらくすれば、また芝も生え戻ってくると思います」と、楽観的である。

 しかし舞台設営の機材の搬入搬出のため、何台のトラックか知らないが、公園内に頻繁に乗り入れることは必然である。その上、9000人が飛び跳ねる。これも大丈夫だ「と思う」のか。

「公園という言葉が適切だとは思わない」

 奈良の自然を撮り続けている保山耕一は、SNSの「note」で「ヤマトノミカタ」という連載をしている。その32回に「志賀直哉の提言」という文章がある(2024年12月12日)。

 志賀直哉は、宮城県石巻生まれで東京育ちだが、1925年(大正14年)、42歳のときに奈良に居を構え、55歳まで13年間住んだ。

 保山はこのように書いている。

「志賀直哉は『奈良公園』という名称は変えるべきだ、と提言している」「確かに奈良公園という世界にも稀な場所が、どこにでもある公園という言葉が適切だとは思わない」

 保山は志賀直哉と「同じ思い」だといっている。なぜなら「奈良公園と名称が付けられる以前から、この地は神仏と人間と鹿が適切な距離感を保って存在し続けて来た」のだから。

 保山耕一は奈良公園の環境を憂いている。

「最近の奈良公園は、どんどん芝の面積が減っている。木が大きく育ち木陰が出来ることで芝の日照時間が減る。奈良公園内の一部が舗装される。建物が立つ。イベントにより車の侵入やテントの設置で芝の生育に悪影響を及ぼす」

 人間は傲慢である。鹿も芝生も大事だ、と口ではいいながら、実際には人間の都合によって利用しているだけである。人間が守ろうとしないかぎり、鹿も公園も自分で自分たちを守ることはできない。