小さな町で、「二つの人種の血を引いている」ことは目立った。
10歳頃、クラスメイトから、なぜ両親に似てないのかと問われたジャッジは、両親に直接聞いたという。
「お母さん、僕はお母さんに似てないね。お父さん、お父さんにも似てないね。どうして?」。
すると両親はあっさりと、かれは養子なのだと話した。
それを聞いて、ジャッジ少年は、およそ10歳の子どもらしからぬ返答をしたのである。「僕のお母さんってことは変わらないよ、僕のお母さんはお母さんだけ。お父さんだってそう、僕のお父さんはお父さんだけだよ」
物事を素直に受け入れるのは、ジャッジの生まれながらの資質なのかもしれない。ジャッジは「本当のことを知っても平気でした。気持ちが乱れることは全然ありませんでした」、「分かった、遊んできていい?」といい、それで終わった。
いまや米球界を代表する屈指のスラッガーに
4歳年上の兄ジョンも養子である。韓国で英語の先生をしている。
ジャッジは、生みの親がどういう人か、チラリとも思ったことがないという。「僕には両親がいる、育ててくれた両親が。それがすべてです」(デヴィッド・フィッシャー『アーロン・ジャッジ』2019、東洋館出版社)。
16歳のときには、すでに198センチの身長があったという。生徒会の役員をやり、飲酒運転防止プログラムのメンバーにもなり、「世界をよりよい場所にする」手伝いとし地域の奉仕活動もやり、ゴミ拾い仲間たちとやるのが「楽しかった」といっている。
大谷がゴミを無心に拾い、ボールボーイに対しても優しく、気遣いをすることは知られている。ジャッジも、大谷のそういう一面を知り、共感したと想像できる。
高校ではアメフト、野球、バスケの花形選手で、すべてのチームMVPのトロフィを贈られた。しかしプロになるには「心身ともにまだまだ未熟だ」と、カリフォルニア州立大学フレズノ校に進学した。
2013年のドラフトで、ヤンキースがチームとして2人目、全体の32位で指名し、ジャッジはヤンキースに入団した。断トツの1位でなかったのは、身長2メートルの巨体で、これまで成功した選手がほとんどいなかったことが原因だといわれる。
前年のホームラン数はわずか4本だったのに、2017年は52本と大ブレイクをし、ア・リーグのホームラン王となる。それから数年は低迷したが、2022年は62本、今年は58本を打ち、いまや米球界を代表する屈指のスラッガーとなっている。