プロ野球監督とはどういう存在か。栗山英樹はそれを常に自身に問いかけてきた。

 9月に発売され、850ページに迫るその圧倒的なボリュームと、監督の在り方についての考察が大きな話題となっている栗山氏の新刊『監督の財産』には、12年にわたる監督生活のなかでの「問いかけ」が克明に記されている。

 例えば「監督は指導者である」というイメージ。栗山は監督就任4年目、リーグ優勝そして最下位、クライマックスシリーズ進出などを経験したあとにこう書いている。

監督は偉いは、間違っている

(『監督の財産』収録「4 未徹在」より。執筆は2015年10月)

 監督は偉いという誤った認識と同様、もうひとつ誤解されていることがある。それは、監督は指導者であるというものだ。

 大学以下の若い世代のアマチュア野球であれば、監督が指導者であるケースは多いと思う。

 だがプロ野球は、そもそもアマチュアでやっていたトップレベルの選手たちが集まってくる世界であり、彼らを技術的に指導しようと思えば、もっとカテゴリーを細分化したエキスパートが求められる。

 だからこそ、より専門性の高いコーチが必要不可欠なのだ。

 もちろんプロの世界に指導者たる監督はいないのかと問われれば、歴代の名監督にそういった方々はいたことと思う。

 だが、自分に関していえば、少なくとも現状、指導者を名乗れる状況にはない。いや、この先もおそらくないと思う。

 ニュアンスが近いのは、芸能プロダクションのマネージャーかもしれない。芸能界と言うと口幅ったいが、キャスター時代にはそういったマネージャーの方々ともお付き合いをさせていただく機会が少なからずあった。彼らは担当するタレントをマネージメントする人であり、プロデューサーでもある。その役割と同様に、我々はこの選手をどうプロデュースしていけばいいのかをつねに考えている。

 どのように努力させたら伸びるのか、どのように起用したら輝くのか、そんなことしか考えていない。これって、芸能界のマネージメント業と似ている気がする。

 そういえばアメリカでは、監督のことをフィールドマネージャーと呼ぶ。球団経営の権限を持つのはゼネラルマネージャー、俗にいうGMであり、フィールドマネージャーの権限は文字通りフィールド内に限られる。簡単に言えば、GMの決めた方針に沿ってチームを運営し、試合における選手起用や勝敗に関する責任を負う立場ということだ。

 いずれにしても、実態は指導者とは程遠い。僕のような人間が、自分を指導者と思った瞬間に間違いが起こるんじゃないだろうか。

 自分を指導者と思えば、「こうしろ」などと言いたくなる。選手が明らかに間違った方向に向かっていると感じたときにはあえて言うようにしているが、監督というのは一番、「こうしろ」と言いやすい立場だからこそ、それは言ってはいけないと思っている。

(『監督の財産』収録「4 未徹在」より。執筆は2015年10月)

9月9日『監督の財産』栗山英樹・著。大谷翔平から学ぶべきもの、そして秘話なども掲載。写真をクリックで購入ページに飛びます