先行きを楽観する財界人だが・・・
このような懸念を示されても、ほとんどのビジネスパーソンは考えすぎだ、杞憂でしかないと言って取り合わないだろう。
トランプは高齢だ、復讐に燃えるよりは自分が正しかった、報われたと考えて静かに大統領の職に戻る。ワシントンが特に変わることもないだろうし、法の威厳はおおむね損なわれずに済む。米国という共和政体のガードレールは持ちこたえるだろう――といった具合だ。
この見方が正しいことを熱烈に祈らなければならない。
だが、それでもまだ2つ疑問が生じる。1つ目は、そもそもそんなリスクを冒すことが理にかなっているのか、というものだ。
裏目に出た時の懸念が一部でも的を射ていたらどうなってしまうのか。裏目に出なかった時には何が手に入るのか。
確かに、バイデンは高齢すぎる。バイデン政権は間違いも犯しているし、とりわけ移民問題では大きなミスをした。だが、壊滅的な大惨事を招いたとはとても言えない。
2つ目の疑問は、前例が何を意味するか、というものだ。
例えば、トランプが大統領になったが、結局「わめきたて、怒りぶちまけ、中身なし」だったと仮定しよう。果たしてそれで終わるだろうか。
トランプがせっせとこじ開けている権威主義に通じる抜け穴は埋められるのか。誰かほかの者がそこを通り抜けようとする心配はないのか。
自由主義の法治国家はいつの世も脆弱だ。
そしてそれを守っているのは制度というよりも、むしろそうした制度を運営する人々、そして社会に影響力のある地位の人々の価値観と勇気だ。そこには、ビジネスに携わる人々も含まれる。
ビジネスや政治のゲームは安全だ、命を取られることはないと考えるのは自然なことだ。だが、どちらも国家の制度を頼りにしている。
それらの制度はどんな攻撃を受けても持ちこたえられるとみるのは、世間知らずというものだ。
偉大な民主主義国の行方
トランプが政界に乗り込んできた2016年に筆者が指摘したように、今日の米国はローマ以来のずばぬけて重要な共和政体だ。
20世紀の大変動のなかから民主主義が支配的な政治システムとして台頭した最大の理由は、壮大な規模と地理的な安全性を備えた米国が共和政体として作られた事実に求められる。
しかし、トランプは米国のカエサルだ。そのトランプの返り咲きは、誰も望んで取ってはならないリスクだ。
(文中敬称略)