徹底した遊びから育まれる創造性

 さて、いまだ日本が戦争を準備していた1937~38年頃、小学3、4年生だった手塚治少年は、弟や妹、周囲の子供たちを読み手に、わら半紙などにマンガを描いて笑わせていた。

 その当時の小学校では、唯一の国定教科書である「尋常算術」がマンガや遊び、ゲームなどを多用して、子供たちが数理を自在に、自らの好奇心が赴くままに活用できるよう、現在進行形で編集、発行されていました。

 小学1年、入学したての子供たちは、最初の算数の時間「玉入れ」の遊び、ゲームで「数理」世界に誘われます。

 「玉入れ」に続いて「おはじき」「すごろく」など、楽しい遊びの世界が次々と紹介されていく。

 皆にとって数理の世界は笑顔で導き入れてくれる、愉悦の世界であることを「緑表紙」教科書は言葉を用いずに示していきます。

 とりわけ「1年上」には、日本語が登場しません。絵だけの絵本で数や形で遊ぶことだけを子供たちに教えるのです。

 そんな中から「手塚治少年」もマンガを描き始めた。というのも、教科書の中にも「マンガ」が登場していたので、実に自然なことであった。

 小学1年「下」2学期の算数教科書冒頭は「マンガ」から始まります。