写真はイメージです(出所:Wikipedia)

 日本の新聞社のモスクワ支局特派員だった古川英治氏。新聞社を退社してフリージャーナリストとなり、ウクライナ人の妻とキーウに移り住んだ矢先の2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへの全面侵攻を開始した。古川氏は、戦禍に巻き込まれたウクライナの人々のリアルな生活と感情を記者として当事者として書き留めた。自由と民主主義を守り抜こうとする戦時下の民の貴重な記録『ウクライナ・ダイアリー』(KADOKAWA)から一部を抜粋・再編集してお届けする(第3回/全3回、JBpress)

ウクライナと日本の距離

 ロシアのウクライナ侵攻開始から半年過ぎキーウは秋を迎えた。9月に入ると急に日が短くなり、肌寒くなってきた。ここから冬まではとても早い。

 ウクライナでの私の秋は特に短かった。日本の大学で講義をするため9月半ばから2カ月近く日本に滞在する予定だった。同じタイミングで妻も仕事の都合でしばらくウクライナ国外に在留することになっていた。ウクライナを離れ、日本で感じたことはこの本(『ウクライナ・ダイアリー』)を書く動機ともなった。

 キーウから夜行列車でリヴィウに向かい、そこから国境を越えてポーランド南部クラクフからウィーン経由で、日本へはほぼ3日かかった。

 すっかり秋だったウクライナと比べ、ほぼ1年ぶりの日本は蒸し暑かった。私はコロナウイルスのワクチンを二度しか受けていなかったので、空港で2時間かけて検査を受け、5日間の自主隔離に入った。戦禍にあるウクライナはコロナどころではなかったし、ヨーロッパでもコロナは終わり、仮に検査で陽性になっても、もはや隔離も必要ない。大半の人がマスクをつけて歩くのを見て、日本に来たのだと実感した。

 全15週の講義はすでに9月初めから始まっていた。私は大学にお願いして、半分はオンライン形式にさせてもらっていた。9月末から11月中旬まで対面で講じ、そのあと再びウクライナに戻ってオンラインで続ける計画だった。

 この大学はすべての講義を英語で行っている。私が担当するのはロシア地域研究で戦争について時間を割くことにした。プーチンがなぜ侵略に突き進んだのか。その問いはロシアの歴史、政治・社会の在り方、アメリカやヨーロッパ、中国との関係といったテーマを網羅する。学生の関心も現在進行形の戦禍にあるのではないかと考えていた。

 キーウからオンラインでつないだ9月初めの1回目にはウクライナの友人を招いて、体験を語ってもらった。2月24日のキーウからの脱出劇や国民の団結などについて彼女は熱心に話してくれた。いろいろ質問が飛び交うのではないかと期待していたが、初回だったためか、学生の反応は鈍かった。

 私が日本に到着したその日にプーチンは予備役兵の部分動員を発令した。核兵器の使用の可能性も再びちらつかせ、「これは、はったりではない」と、ドスを利かせて見せた。そして、占領下に置く東・南部4州(ヘルソン、ザポリージャ、ルハーンシク、ドネツィク)のロシアへの一方的な併合を9月末に宣言する。

 ロシア軍がこの4州から押し出されれば、プーチンの負けを意味する。だから、自国への併合を宣言してレッドライン(越えてはならない一線)を引き、ウクライナを支援する欧米に対して核使用の脅しを掛けたのだ。

 緊迫する戦況も日本にいると、遠いことのように感じられ、まるで「パラレルワールド」にいる気分だった。ウクライナのニュースは連日取り上げられていたが、ロシアの核攻撃の可能性やアメリカの反応、戦争はどうするのかといった議論が目立ち、そこにいる人々の思いは置き去りにされている印象を受けた。ウクライナとの距離は地理的なものだけではないかもしれない。

学生の反応に打ちのめされる

 私は日本でこんな質問をされるたびにひっかかった。

「ロシアはひどいが、戦意むき出しのウクライナにも問題があるのではないか」

「国民の犠牲が膨らんでいるのに、なぜゼレンスキー大統領は譲歩しないのですか」

 それは日本的な「平和主義」の観点かもしれない。しかし、これは白黒がはっきりしたロシアによる侵略だ。ロシア軍の占領下で虐待される市民を見捨てて、領土で譲歩することができるだろうか。自由と主権に妥協がありえるだろうか。歴史的に繰り返し侵略されてきたウクライナ人は「独立」の重みを身に染みて分かっている。譲歩がさらに大きな犠牲につながることも知っている。だから大半の国民が勝利まで戦う覚悟をしている。私が少しむきになってそんな説明すると、周りが引いていくのが分かる。

 大学でも学生の反応にショックを受けたことが何度かある。

「日本が侵略を受けたらどうするか」と投げかけると、学生の大半は「逃げる」と答えた。かくいう私も侵攻前に妻から「これが日本だったら」と問われ、逃げると即答している。おそらく多くの日本人がそうかもしれない。

「アメリカが衰退するのであれば、日本は(平和を維持するために)中国やロシアと同盟を結ぶべきです」という意見も出た。この学生は勢力の均衡を重視する国際政治学のいわゆる「リアリズム(現実主義)」の立場に立っていた。

「その場合、この大学の講義は英語から中国語になるのでは」と、私が切り返すと、教室は静まりかえっていた。

 地政学や現実主義といった国際政治論からだけ語り、そこに生きる民を無視する机上の議論は虚しい。ロシアが短期間に勝利し、ウクライナを支配するとの大方の予想を覆したのは、自由を守る民の決意と抵抗であることを、まず知ってほしい。「民主主義の後退」といわれるが、自由や民主主義、人権を求める人々の思いは世界で衰えていない。軍によるクーデターが起きたミャンマーなど、アジアでもそうだ。ウクライナはその戦いの最前線に立っている。ある時、私はそんなことを説いた。

 すると、こんな意見が飛び出した。

「この戦争は結局、アメリカの覇権主義が原因ではありませんか。メディアはロシアを悪魔のように仕立てているように思います。ブチャの虐殺だって、ウクライナの自作自演だったという報道もあります・・・」

 私は思わず、「議論は自由だが、フェイクニュースは持ち込むな」と感情的に応えてしまった。プチャの現場を自分の目で見たことを話し、自由や人権、主権について私が語るほど、どこか学生が冷めていくのを感じた。「戦争だから、何が本当に起きているのかは分からない」「とにかく、戦争を早く終わらせるべきだ」といった声も出てきて、打ちのめされた気持ちになった。

 ロシアの侵略を目の当たりにして暮らしてきたため、私は義憤にかられ、感情的になりすぎているのだろうか。自分自身に対するそんな疑念も湧いてきた。

早く帰りたい

 日本滞在中の10月半ば、ロシア軍はウクライナ全土の民間インフラへの大々的な攻撃に乗り出した。何十発ものミサイルや自爆ドローンによる攻撃を繰り返し、各地の発電施設が破壊され、真っ暗になった街の様子が報じられた。キーウの友人たちと交信すると、みなシェルターで夜を過ごしていた。外国にいる妻にママ(妻の母親)の様子を聞くと、左岸への攻撃はそれほどでもないらしい。

 早くウクライナに帰りたいとの思いが募った。それは取材のためではなかった。ただ、人々と共にそこにいたかった。

「我々はロシアのようにカネをつぎ込んで、プロパガンダを展開する必要はない。自由と主権のために戦う市民の姿を見てもらえればいい。親切で、賢く、ユーモアもあって、こんなに素晴らしい民を誰が愛さずにいられるだろうか」

 これはウクライナを出国する直前に会ったゼレンスキーの側近の1人、大統領府顧問ミハイロ・ポドリャクが感情的に語った言葉だ。私はゼレンスキー政権を美化するつもりはない。

 しかし、多くの人と接し、「自由と主権のために戦う市民」の気持ちは痛いくらいに分かる。

 それは日本にどれほど届いているだろうか。

ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録』(古川英治著、KADOKAWA)

(その1)「ロシアの全面侵攻が始まった翌日、キーウの老人が杖で地面をつつき発した一言
(その2)「占領から解放されたブチャの街、焼き立てのパンの匂いで住民の心は生き返った