新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」から選りすぐりの記事をお届けします。
「プリゴジンの乱」で陣頭指揮をとったニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

(文:名越健郎)

「プリゴジンの乱」で最も株を上げたのはベラルーシのルカシェンコ大統領だろう。ただし、事態を現実にコントロールしたのは、パトルシェフ安全保障会議書記、コワルチュク・ロシア銀行会長、ワイノ大統領府長官、グリズロフ駐ベラルーシ大使らだとの指摘がある。かたや“負け組”はショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長、反乱に加担した疑義のある軍高官たち、そしてプーチン大統領その人だ。

 ロシアの民間軍事会社「ワグネル」がプーチン政権に反旗を翻した「プリゴジンの乱」は約24時間で収束したものの、前代未聞の反乱事件はプーチン体制の弱さを露呈し、政権を揺さぶった。決起から収拾までの経緯には謎が多く、事件の衝撃が続いている。

 ロシアは秋から「政治の季節」に入り、来年3月17日の大統領選に向け、ウラジーミル・プーチン大統領は5選を目指して動き出すが、反乱事件が続投に影を落とすだろう。反乱の後始末を経て、権力構造に変化が生じる可能性もあり、事件をめぐる要人のバランスシートを探った。

「ロシア最高責任者はルカシェンコ」

「プリゴジンの乱」の最大の勝者は、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領だろう。同大統領は6月27日の演説で、決起中に6、7回エフゲニー・プリゴジン氏に電話し、「(ロシア軍と戦うと)虫けらのように潰されるだけだ」「あなたと仲間の絶対的な安全を保証する」などと終日説得して翻意を促したと明かした。

 ロシアの危機を救ったルカシェンコ大統領の役割について、右派ブロガー、ドミトリー・デムシキン氏はブログで、「6月24日に限っては、ルカシェンコがロシアの法執行機関の最高責任者だった。彼が電話をかけ、命令を下した。わが大統領がどこにいたのか知らないが……」と皮肉った。独立系の女性記者、アナスタシア・キリレンコ氏は「ルカシェンコにロシア・ベラルーシ統一国家の大統領に就任してもらいたい。プーチンには、ウクライナから遠く離れたアルタイ地方あたりの保養所で隠遁生活を送ってほしい」と書いた。

 ルカシェンコ大統領はロシアに大きな貸しを作ったことになり、ウクライナへの共同参戦や国家統合に向けたクレムリンの圧力をかわすことができそうだ。

パトルシェフが陣頭指揮

 一方で、ロシアの救世主を装うルカシェンコ大統領の説明について、アンドレイ・スズダルツェフ・モスクワ高等経済学院准教授は、ロシア・テレビのサイトに寄稿し、「これは実際に起こったことの真相とはほど遠い。クレムリン要人が背後で交渉に当たった」と指摘した。政治評論家のワレリー・ソロベイ氏もユーチューブ・チャンネルで、「完全にというほどではないが、嘘がある。ルカシェンコが電話交渉に参加したのは24日の夕方2時間程度で、丸一日は参加していない。彼はニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記とアレクサンドル・ボルトニコフ連邦保安庁(FSB)長官から指示を受けて話した。この間、プーチンは不在だった。しかし、クレムリンにとっては、この説明でいいようだ」と述べた。

◎新潮社フォーサイトの関連記事
再浮上した「強いロシア」と「弱いロシア」のジレンマ
「プリゴジンの乱」は「プーチンの終わりの始まり」のようには見えない
自動車メーカーが急ぐ「EV用黒鉛」の「脱中国」