盟友だったはずの2人何が起きたのか(写真は2010年10月資料写真、写真:ロイター/アフロ)

 長引くロシアとの紛争のケリをつけるべく、で始められ、それからほぼ1カ月を経たウクライナ軍の反転攻勢である。

 西側ではウクライナ軍が徐々に押している状況が報じられはするが、当初その西側当局とメディアが期待したほどの成果はまだ挙がっていないようだ。

 進撃が想定より遅れていることを、ウクライナ大統領・V.ゼレンスキーも、米国政府も認めざるを得なくなっている。

 だが、今になってその遅れが、「ロシア軍が埋設した地雷に手を焼いている」「ロシアがこれまで温存してきたヘリコプターほかの航空勢力を使い始めた」などと説明されても、それは初めから分かっていたはずなのでは、という意外感や疑問が残る。

「意図的に進撃の速度を調整してロシア軍の出方を見極めつつ、主力部隊出撃の場所とタイミングを決める作戦」という解説にしても、ではその見極めにこれからさらにどれだけの時間が必要で、本格的な反攻はいつなのか、となるとはっきりしない。

 2022年11月のヘルソン市奪回以降、ウクライナ軍に目立った戦果は見られなかった。

 逆に1年近くにわたる戦闘の後に、バフムトがこの5月にロシア側の手に渡っている。

 そろそろ目立った結果を出さないと、西側諸国からの援助もその気運を削がれかねない――。

 当のウクライナが懸念するのは当然として、それ以上に西側の報道が過熱気味に、今か今かと反攻開始を待ち焦がれる気分を繰り返し訴えた。

 あたかも、それに急き立てられたかのようだった。結果を可及的速やかに、で焦りもあっただろう。

 だがそうなると、ウクライナ軍は、肝心の兵員・兵器が準備万端の体制だったのだろうか。