バラバラの5人によるせめぎ合い

 LUNA SEAの音楽性を説明するのは難しい。1991年、1stアルバム『LUNA SEA』はX JAPANのYOSHIKIの主宰するエクスタシーレコードからリリースされた。Xの1stアルバム『VANISING VISION』(1988年)の3倍もの宣伝費が掛けられたというのだから、エクスタシーがLUNA SEAにどれほどの力を入れていたのかがわかる。

 そうした出自ゆえにLUNA SEAは「Xの弟分」と称されたこともあった。しかし、ハードながらもメタルとは異なるソリッドさを持ったサウンドと、鬼気迫る精神性は師弟関係にあったAIONに、耽美的なリリシズムはDEAD ENDに近いものだった。

 アルバム『LUNA SEA』の奇抜な髪型と妖艶なメイクを施したアーティスト写真を用いたジャケットと、メタルでもロックンロールでもビートロックでもない、従来のロックバンドの枠に収まりきらない音楽は、当時のレコードショップがどの棚に陳列すればよいのか迷ったという逸話もあったくらいだ。“インディーズ”というものはまだ一般的ではなく、J-POPがまだ“歌謡曲/ニューミュージック”と呼ばれていた時代である。

 1992年にメジャーデビューを果たしたアルバム『IMAGE』はオリコン初登場9位、メジャーにおける快進撃が始まった。セルフプロデュースを貫き、タイアップ至上によるヒットソング隆盛の時代に、シングル「TRUE BLUE」はノンタイアップでオリコン1位を獲得する。当時の日本の音楽シーンで完成されつつあった「Aメロ→Bメロ→サビ」という明確な楽曲構成、J-POPセオリーを用いない楽曲からもLUNA SEAの美学を感じることができる。

 LUNA SEAの音楽はメンバー5人のせめぎ合い、その危うさにある。「個性ある5人」といった単純なものではない。お互いを探るかのように張り巡らされた緊迫感から生まれるものだ。1997年からのバンド充電休止期間に展開された各ソロ活動は音楽嗜好も方向性もバラバラで、むしろ共通項を見つけることすら困難であり、5人が同じバンドにいることが不思議なくらいだった。

 そして、RYUICHIの“河村隆一”としての活躍は、そのポップさゆえに古くからのファンからの反発もあったことも事実。しかしながら、河村隆一としてのソロアルバム『Love』(1997年)は男性ソロアーティストのアルバム売上歴代1位という快挙を成し遂げている(2023年現在もこの記録は破られていない)。その成功がLUNA SEAの存在をさらに大きいものにしたことは言うまでもないだろう。