「あなたがどんな人かもわからないのに判断できない。何か身分が分かるものを見せてください」
男が見せてきたものは、中国の情報機関・国家安全局の身分証だった。
「私に協力しなさい。もし協力してくれれば、あなたが日本に帰化したい場合助けてあげますし、日本の政治家に口をきいてあげます」
男は、日本ウイグル協会の総会の時期や場所、協会の理事の名簿、世界ウイグル会議のドルクン・エイサ総裁やラビア・カーディル元総裁とどんな連絡を取っているか、彼らが日本に来る予定があるか、これからの活動計画はどんなものか、といったウイグル問題に関わる人々の情報を知らせるよう「協力」を求めた。
だが、ハリマトさんが情報を教えるまでもなく、電話口で話していた男は、協会理事しか知り得ない情報をすでにつかんでいた。そのため当局の真の目的は諜報活動ではなく、ウイグル人コミュニティーを分裂させたりかき乱したりすることではないかとハリマトさんは指摘する。なお、この電話の後、偶然か、もしくは何らかの方法で操作されたのか、ハリマトさんの携帯電話は電源が入らなくなった。
日本ウイグル協会を支える互助機関として設立された「ウイグルを応援する全国地方議員の会」の小坪慎也幹事長によると、これまでの活動で実際に怪しいと見られる人は存在しており、最低でも議員が入会する際は経歴の整合性を徹底的に調査しているという。また、ウイグル人活動家の中にいわゆる過激派もいるのは事実で、そうした人が在日ウイグル人コミュニティーをかき乱し、警察沙汰を起こすこともあったという。
国営テレビに登場した家族
当局への協力を断ってから1年3カ月後の2021年9月、ハリマトさんはイギリスで開かれた会議で自身の経験を語り、ウイグル自治区の人権問題について訴えた。するとその直後、国営・中国新聞社のテレビにハリマトさんの家族が突然登場した。
初めに映し出されたのは、台所で野菜を切る妹の姿だった。「私たちはとても幸せな生活を送っています」「夫も子どもたちも幸せです」とカメラに向かって語っているものの、表情は引きつり、笑顔が全く見られない。イスラム教徒だが、頭にスカーフは着けておらず、肌も露出されていた。母の料理を作っていると言うが、母の姿はこの番組に登場しなかった。
次に出てきたのは、イェルケンさんとは別の兄だった。息子が大学を卒業して働き始め、娘は大学に通っていると話す。ここでもやはり「幸せな生活を送っている」と明かすものの、顔は無表情のままだ。原因は不明だが、ハリマトさんの出国前にはあった前歯が数本抜けているのが確認できた。
最後に出てきたイェルケンさんは、ハリマトさんが会議で訴えたことを否定していった。
「われわれが監視されているだと?」
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