2022年8月に開通した、新疆ウイグル自治区と域外を結ぶ3本目の高速道路(写真:新華社/アフロ)

(馬 克我:日本在住中国人ライター)

 10月6日、国際連合人権理事会において、米、英、カナダなどの西側諸国が、新疆ウイグル自治区(以下「新疆ウイグル」)におけるウイグル人の人権状況に関し討論を行う議案を提出したが、反対19票、賛成17票、棄権11票で否決された。

 その内、棄権票を投じたイスラム諸国はマレーシア、リビア、ガンビアであり、反対票を投じたのはパキスタン、インドネシア、アラブ首長国連邦、カタール、スーダン、セネガルだった。同じイスラム教を信仰するウイグル人の人権問題について、討論を支持するイスラム諸国は1つもなかった。

 しかし、討論しないからといって、問題が存在しないわけではない。新疆ウイグルを巡る問題は一般的に知られている以上に長期的な問題である。これからも存在し続ける問題というだけでなく、実はかなり前から起こっている問題なのだ。

新疆ウイグルを巡る問題はいつから存在するか?

 歴史をさかのぼると新疆ウイグルは、中国文化と西アジアおよび地中海文化が交流する「シルクロード」の重要な拠点であった。現在、新疆ウイグルに住むウイグル人は唐代(7世紀)には「回鶻(かいこつ)」と呼ばれ、元代(13世紀)より一般的にイスラム教を信仰するようになった。

 彼らが使用するウイグル語は、ウズベキスタン、キルギス、アゼルバイジャン、トルコなどの国家と同じ「テュルク語(チュルク語)」に属する。