11月30日、新宿駅前で行われたデモには数百人が集結していた。キャンドルに火を灯して犠牲者を追悼するグループのほか、中国当局のゼロコロナ政策や人権問題について批判の声を上げる若者、さらには中国共産党や習近平国家主席を罵倒する者もいた。ウイグル人犠牲者の追悼デモであるにもかかわらず、現場に集まっていたのは在日中国人(漢族)の若者が大半で、ウイグル人の姿はほとんど見られなかった。

 私はその日の夜、ハリマトさんの店を初めて訪れた。デモの写真を見せると、ハリマトさんはこう話した。

本コラムは新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」の提供記事です。フォーサイトの会員登録はこちら

「このようなデモに参加できるウイグル人はほとんどいない。この人たち(漢族の参加者ら)も、デモ参加によって母国の家族が捕まる危険性はもちろんあるが、われわれの家族はすでに捕まっているか、少なくとも監視下にある。次の日にはこのような行動への報復として家族が殺される可能性もある」

ウルムチ騒乱で様変わりした故郷

 8人兄弟の4男として生まれたハリマトさんは、2002年に地元タチンで結婚。2005年に東京電機大学の大学院に進学するため来日した。もともと建設系の会社で測量士として勤務していたが、職員のほとんどが漢族だったためウイグル人には昇格が難しいと感じ、日本への留学を決意したのだという。

 ハリマトさんが大学院に通っている間の2009年7月5日、ウルムチ市では大規模な騒乱が勃発した。広東省の工場でウイグル人労働者が襲撃され死亡したことを受け、同市で政府の対応を非難する抗議デモが行われた。その参加者らに警察が武力行使したことで騒乱と化し、公式発表によると197人が死亡したとされている。

 この事件から3年後の2012年、博士号を取得したハリマトさんは中国に帰国した。しかし、町の様子はすっかり変わっていた。以前と比べ活気が減り、町内を少し移動するだけでも職務質問を受けるなど、ウイグル人への弾圧や監視が明らかに厳しくなっていたという。

 留学前に勤めていた会社に復職したものの、内陸部から移動してきた漢族らによって職員の数は34人から80人ほどに増えていた。ある時、出張に行くと、「ウイグル人だから」という理由で深夜に当局がホテルの部屋にまで職務質問にやってきた。同部屋に泊まっていた漢族の同僚は露骨に迷惑そうな顔をした。そのような監視行為が常に付きまとうことで、他の漢族職員にとってもハリマトさんは足手まといとなった。

 結局、キャリアアップのために日本留学までしたものの、昇格どころか努力が全く報われないことで絶望感に包まれた。その上、こうした愚痴ですら自由に口にすることができない。兄から「日本に帰りなさい」と言われ、2016年8月に妻や子どもたちと日本へ戻った。その翌年、ハリマトさんは新松戸でウイグル料理レストランをオープンした。

◎新潮社フォーサイトの関連記事
スペースX「スターリンク」に対抗する中国の超低軌道衛星
ヒッタイト帝国崩壊の引き金は干魃? 木の年輪が示す新しい知見
専門家「鳥インフルエンザは注視すべきだが、動転すべきではない」