コロナを「普通の風邪」として扱うとき
このように「コロナ死者」の定義はまちまちなので、世界各国の被害の客観的な比較に使われるのは、すべての死因を集計した超過死亡数(平年に比べて増えた死亡数)である。これが大きく増えた時期は、感染症が流行したと推定できる。
ところが日本では、2020年は平年より少ない過少死亡になった。これは行動制限で基礎疾患をもつ高齢者が隔離されたためだろう。そのとき延命された高齢者が翌年死亡したため、2021年は超過死亡(図2の+の部分)が出た。
2020年から21年までの世界各国の超過死亡を集計したWHOの調査によれば、2年間で日本は約1万人の過少死亡だった。同じ時期に、アメリカでは93万人の超過死亡が出たと推定される。超過死亡ゼロが最適水準だとすると、日本の感染症対策は大幅な過剰対策だったのだ。
そのコストは直接経費だけで100兆円以上だが、行動制限で日本のGDPは2020年に5.8%下がり、最近やっとコロナ前の水準に戻った。そのコストを含めると、コロナ対策の直接・間接コストはGDPの30%(150兆円)を超えると思われる。
要するに感染症学会などの言うように、コロナは今では普通の風邪なのだ。政府のコロナ分科会の尾身会長も「全数把握をやめるべきだ」と提言し、岸田首相もようやくコロナをインフルと同じ普通の感染症(5類)に落とす検討を始めた。陽性者を全数把握して隔離する特別扱いをやめ、インフルのように発症ベースで扱い、重症者だけを入院させ、3割負担させるべきだ。
しかしマスコミが連日「きょうのコロナ死者は数百人」と報じている状況で、コロナの扱いを緩和することは政治的に容易ではない。大村知事も言うようにすべての検査陽性の死者をコロナ死として集計するのをやめ、軽症や無症状の陽性者を除外して、感染リスクを客観的に評価することが、コロナを普通の風邪として扱う出発点である。