「本流トヨタ方式」の土台にある哲学について、「(その1)人間性尊重」「(その2)諸行無常」「(その3)共存共栄」「(その4)現地現物」という4項目に分けて説明しています。
今回は「(その4)現地現物」に関して「転んでもただで起きるな」「失敗に学べ」というテーマでお話ししたいと思います。
今まで迷惑をかけてはいけないと考え見送ってきましたが、被災地が落ち着きを取り戻し、「来て、見て、お金を使う」ことを望む時期になってきたと判断して、4月28~29日に仙台まで自動車で行き、東日本大震災の「現場」を見てきました。
高速道路は順調に復旧していた
福島、宮城県内の高速道路網は、関係者の懸命の努力で順調な回復が見て取れました。さすがに地盤の弱い地域では波打ってはいますが、余震によって新たにできた段差は直ちに手が打たれており、物流の大動脈としての機能を維持していました。
ちなみに東名では時速80キロメートルしか出さず渋滞のもとになっている大型トラックも、物資を早く届けたいためか、ここでは時速100キロメートルで走っていました。
途中で寄った福島県三春町では、桜は何事もなかったように咲き乱れ、畑の野菜は青々と育ち、住民も沿道で何事もなかったように手作りの土産物を売っていました。土産物を買いながら水を向けると、原発の風評が怖いと言っていたのが印象的でした。
高速道路の海側はまるで地獄の様相
1995年に筆者がトヨタ自動車の物流管理部長をしていた当時、東北地方で売る完成車の物流拠点として、また、岩手県金ケ崎町にある工場で生産するための部品の集積場として、生産した完成車の積み出し港として、仙台港を使っていました。
2006年から、工場で使う部品の一部は、名古屋南ターミナルと盛岡貨物ターミナルを結ぶ専用の貨物列車で1日2往復するようになりましたが、仙台港がトヨタの東北物流の拠点であるのに変わりありません。
その仙台港がこの震災でどうなっているのかを確認するのが目的の1つでした。さらに、津波による被害を受けた仙台空港も、この目で確認したかったのでした。
東北自動車道・仙台南ICから仙台南部道路を通り、仙台東部道路に入ると景色は一転し、道路の西(山)側は全く無傷なのに対して、道路の東(海)側は地獄のようで、建物は壊され、漂流物が散乱し、乗用車があちこちに無残な姿をさらしていました。
仙台空港ICを降りると、道路は片付けられていましたが、交通信号はダウンしており、道路脇の溝には軽飛行機と自動車が折り重なっていたのが印象的でした。仙台空港は道路の東に位置していたため、全域にわたって津波を被り、1階の天井まで浸かった様子でした。