「本流トヨタ方式」を構成する2本柱の1つである「自働化」の話を2011年11月から始めて、今回で19回目になりました。今回は「自働化」の最終回として、今までのおさらいと、「自働化」の目指す「究極の姿」についてお話しします。

(1)「自働化」の原点は佐吉翁の「T型自働織機」にあった

 「機織り機に見るトヨタ生産方式『自働化』の起源」(2011年12月8日)では、一番完成度の高い「G型自働織機」を題材にしてお話ししましたが、ここでは視点を変えて初期モデルのお話をします。

 日清日露戦争の頃、織機製造業者が織機そのものの動作を速くする競争をしている中で、「現地現物」主義を採り、織機を使用する会社を共同経営するなどして、織機を使う立場で発明考案をしていた豊田佐吉翁は、大きな壁にぶつかっていました。

 当時の織機は、糸巻きに巻いた横糸を入れた杼(ひ:シャトル)を縦糸の間で左右に往復させて横糸を通して織る方式でしたから、糸巻1本で織れる面積は限られていました。それゆえ、織機の動きをいくら速くしても、ある面積を織るたびに、織機を停止させて杼を交換せざるを得ず、織機の速さが直接的に生産性に直結するわけではなかったのです。

豊田式鉄製自動織機(T型)。○で囲った部分が「無停止自働杼換装置」

 佐吉翁は、自分の織機開発の本当の「目的」は、女工さんの「1人1日当たりの生産量」を増やすことにあると再確認し、いまだに誰も成功していない「無停止自働杼換装置」、つまり織機を動かしたままで自働的に杼を交換するという極めて難しいテーマの開発研究に没頭しました。

 右の写真は、佐吉翁が発明した世界初の「無停止自働杼換装置(写真の中の○で囲った部分)」が搭載された「豊田式鉄製自働織機(T型)1903年製」です。これには「縦糸切断自働停止装置」も装着されていて、後述するように、この自働織機だと1人で数十台扱うことができるようになりました(参考文献:『挑戦~写真で見る豊田自動織機の80年』)。

(2)「自動化」から「自働化」へ

 同業他社が、女工さんが手機を織る時の手足の動きを機械化し、これを「自動化」と称して機械的速さを競っている中で、佐吉翁は、世界に先駈けて作り上げたこのコンセプトを、「人間と同じように自分で仕事ぶりを判断して働く機械」の意味を込めて、さらに巷の「自動化」と対比させて「自働化」と名付けたのでした。

 佐吉翁はこの「自働化」という名前が大変気に入っていて、製品はもちろんのこと、一時期は会社名にまで使っていたと言います。