金日成氏の酔狂で大勢の兵士が死ぬことになった(写真:AP/アフロ)

 北朝鮮軍は冬季と夏季で演習を行う。毎年12月1日から3月末に冬季訓練が、7月1日から9月末に夏季訓練が行われる。こういった定期訓練とは別に特別訓練もある。振り返れば、1992年5月に人民武力部と護衛司令部の死を超越した「主席宮攻防訓練」が実施された。これは、どのような訓練だったのだろうか。

(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」(https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%83%AD+%E6%96%87%E5%AE%8C%EF%BC%9A)

(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)

 1992年5月、金日成氏が主席宮内の邸宅庭園で、呉振宇(オ・ジンウ)人民武力部長、李乙雪(イ・ウルソル)護衛司令官とティータイムを過ごしていた。呉振宇部長が人民武力部の攻撃能力を自慢すると、李乙雪司令官は護衛司令部の守備能力を自慢した。

 二人の自慢を聞いた金日成氏が、「それなら一度勝負してみろ」と冗談交じりに言うと、呉振宇部長と李乙雪司令官は、冗談ではなく本心だと受け取った。金日成氏の冗談半分の言葉から、人民武力部と護衛司令部の死を超越した、「主席宮攻防(攻撃と防御)訓練」が始まったのだった。

 金日成氏が決めた目標物は主席宮だった。人民武力部の軍人が一人でも主席宮に侵入し、訓練判定団が発給した赤い紙を建物の壁に貼ると人民武力部の勝ち、護衛司令部が侵入を食い止めれば護衛司令部の勝ちだ。判定期間は30日で、実弾を除くすべての戦力を使用できる訓練だ。

 呉振宇部長と李乙雪司令官は、金日成氏の判定を巡る戦闘訓練に本気で取り組んだ。

 呉振宇部長は人民武力部の韓国侵入を専門とする特殊部隊を集め、侵入組を組織した。一方の李乙雪司令官は、護衛司令部の兵力を総動員して主席宮を囲んだ。「人民武力部攻撃侵入組」は、いかなる手段を使ってでも1カ月以内に主席宮に侵入して赤紙を貼ることに命をかけ、対する護衛司令部は侵入阻止に命をかけた。