北朝鮮にナンバー2は存在しない。韓国をはじめとした世界のマスコミがナンバー2に言及するが、それは北朝鮮という一人の人間を頂点にした絶対独裁国家を自分たちの枠にはめた視点でしかない。
事実、北朝鮮のナンバー2と目された人々は不遇の死を遂げてきた。金正恩総書記の叔母の配偶者である張成沢(チャン・ソンテク)や腹違いの兄である金正男(キム・ジョンナム)氏などである。
そんなナンバー2の存在を許さない絶対独裁国家の権力者の生存法を紹介しよう。対外的に有名ではない二人の人物に関する話である。
(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」
(https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%83%AD+%E6%96%87%E5%AE%8C%EF%BC%9A)
(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)
趙世雄(チョ・セウン、1928-1998年)は1982年から1987年まで、咸境北道(ハムギョンプクト)の知事に相当する党責任書記を務め、1989年から1990年まで平安北道(ピョンアンプクト)の党責任書記を務めた。趙世雄は先々で地域住民の生活を向上させたため、人々の人気を集めた政治家である。
咸鏡北道は豆満江、平安北道は鴨緑江を挟んで中国と隣接する。趙世雄は中朝国境地域という地理的な利点を活かして国境貿易を活発に進め、住民の経済生活を向上させた。
書記時代の趙世雄は地域住民の生活を向上させるため、4つの原則を貫いた。
第一に、朝鮮労働党や特殊機関に対する貿易特権の制限だ。趙世雄は労働党や軍、国家保衛機関の貿易特権を制限する一方、地域の貿易機関に相応の権限を付与した。
例えば、地域経済を活性化させるため、咸鏡北道の特産品であるマツタケの採取権と貿易権を朝鮮労働党や特殊機関から地域に移すことを当時のトップだった金日成に提案した。平安北道でも、西海岸に散在していたアサリ養殖場を地域経済事業として再編した。
第二に、地方権力層の不正腐敗の撲滅だ。