そのため、敵に捕らえられた時に情報をとられないよう、小野田さんは手帳などに文字記録を残すことは一切せず、全情報は記憶した。手帳などで今日が何年何日かの確認もせず、星など天体の動きを暦とし日数勘定をしていたが、その誤差は29年間でわずか6日間だった。

 映画『ONODA』では、「ONODA」が手帳に鉛筆で日付を記入するシーンが定期的に出てくる。また密林内の基地キャンプに書き込みがあるルバング島の地図が掛けてあり、それが劣化していくことで29年という歳月を表現していた。映画表現としては考えた演出だが、こういう点が、「ONODA」と諜報要員「小野田寛郎」は違っている。

筋金入りの諜報員だった

 8時間の対談中、小野田さんになぜJAL機内で私のことがわかったのかを聞いた。

小野田「山根さん、ロサンゼルスのトランジットルームの公衆電話で東京の奥さんにコレクトコール(料金の着払い通話)したでしょう。オペレーターに『Yamane』と話していたので、間違いなく山根さんだと確認したんです」

 公衆電話の近くで、ひそかに私の通話内容の情報収集していたのだ! 筋金入りの中野学校出の諜報員(スパイ)だと感服した。めげることなくルバング島で29年間の任務を遂行し続けられたのは、この冷徹沈着なスパイ能力ゆえだったのだ。『ONODA』では、そんな「小野田寛郎」の片鱗でも描いたらよかったのでは、と思った。