映画をこよなく愛した金正日総書記(写真:Everett Collection/アフロ)

 映画は時代を描く。過去であれ、現在であれ、未来であれ、映画は「時代」のフレームから自由にはならない。時代を知るなら、その時代に作られた映画を見るべきという言葉がある。それほど映画は時代を映している鏡なのだ。

 今回は金日成時代から金正日時代、金正恩時代へと3代世襲してきた北朝鮮の映画製作の変遷と実態を語る。

(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」(https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%83%AD+%E6%96%87%E5%AE%8C%EF%BC%9A)

(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)

 金正恩時代になって北朝鮮映画は低迷している。金正日時代には映画が重視されたが、金正恩時代はスポーツへの関心が高い。過度に芸術に偏った金正日時代との差別化と解釈もできるが、金正恩時代になって映画に対する国家の投資が著しく減った。金正日時代には年平均40~50本の映画が製作されたが、いまや10本未満にとどまっている。

 第一の理由は、映画の政治的意味合いの低下だ。

 金正日時代は「映画革命」という言葉が出るほど、政治的な意味合いが大きかった。映画好きな金正日総書記の個人的な趣向もあっただろうが、金日成主席の革命活動の歴史を描いた革命映画を通して、白頭血統の金正日総書記が、自身の後継者としての正当性を北朝鮮住民に洗脳させるために利用した。

金正恩総書記が表舞台に登場した後、放映された記録映画(写真:KRT/ロイター/アフロ)

 それに対し、3代目の金正恩総書記は白頭血統の継承に疑義はなく、住民に注入する必要がなくなった。映画よりスポーツの国際舞台で成果を上げる方が、金正恩時代の体制宣伝に効果的だと信じている。

 第二の理由は、映画を製作する費用だ。