問 中国の古典に幼少の頃から親しんできた北尾さんからご覧になると、今の社会は私たち凡人とは違って見えるのではないかと思います。何か地に足の着いていない、浮き足立ったような。いかがですか。
北尾 日本のエリート層がどうも非常に薄っぺらな感じになっている気がしますね。この困難な時代に日本の将来を引っ張っていかなければならない人たちが、人間を惹きつける魅力とか資質に欠けているような印象を受けます。
そもそも、政治の世界はどうなっているのでしょう。麻生太郎首相は就任後すぐに支持率が真っ逆さまに下がり始め、あっという間に20%を割ってしまいました。国会答弁の極めて短い発言の中で、あれだけ漢字が読めない首相というのはいかがなものでしょうか。
漫画ばかり読んでいたと聞いていましたが、あの答弁を聞いているとなるほど合点がいきましたよ。その国を代表する総理大臣がそういう状況であるということは、後は推して知るべしということでしょう。
当社の入社試験を受けに来た大学生に面接すると、読んでいる本が私なんか覚えていないような本ばかりですよ。一時はよく売れたのでしょうが、ほとんど記憶に残らないような本ばかり。中国の古典を読んでいますという学生はほとんどいません。
恐らく大学時代はアルバイトやゲームばかりしていたのでしょう。これでは何のための大学なのか分かりません。切磋琢磨という言葉がありますよね。これはお互い良い意味で刺激し合いながら人間として成長していこうという意味ですが、今の若者にそういう気概があるのか私は疑問に思います。
問 確かに、何をしたいのかが自分でも分からない人が多くなった気がします。それでは日本を変えていこうというエネルギーは生まれませんね。
北尾 そう。だから私は入社試験では、いわゆるハウツー書に出ているようなことは一切聞かないことにしているんです。それよりも、「あなたは自分のことがどの程度分かっていると思いますか」と聞くようにしているんです。
聞かれた若い人たちは目を丸くしています。「そんな質問はどのハウツー書にも出ていない。困った」という顔をするのです。
しかし、自分が誰で何が足りないのか、何を求めて生きているのか、それが分からなければ会社に入ってもどんな仕事を積極的にしたいのか分かりません。まず人生を深く真剣に考えてほしいと思います。
孔子は「我15にして学を志す」と言いました。私自身を振り返ると15歳で孔子のように学を志したか自信はないのですが、少なくとも今の若い人たちよりずっと読書をしていたし、古典的教養というものを身につけていました。
問 中国の古典をはじめ西洋の哲学書などが読まれなくなっている背景には何があると思いますか。教育の問題なのでしょうか。
北尾 それにはいろいろな要因があると思います。1つは天下泰平の時代が続いて、過保護の親のもとでぬくぬくと育っているので人生に対する緊迫感が薄れているのだと思います。人生は何かを考えるより、試験で良い成績を取って親に喜ばれることに価値を置く。