そのIOCを、アメリカの有力紙『ワシントン・ポスト』は「収益のほとんどを自分たちのものにし、費用は全て開催国に押し付けている」と批判、バッハ会長についても「“ぼったくり男爵”と揶揄し、IOCを『地方行脚で食料を食い尽くす王族』とたとえた上で『開催国を食い物にする悪癖がある』」と痛罵している(「「日本を食い物にする」無責任IOCに批判殺到…世界からも続々」女性自身、2021/5/7、https://jisin.jp/domestic/1977829/)
だがバッハ会長もジョン・コーツ副会長もそんな批判などどこ吹く風、あくまでも開催一本鎗である。巨額の放映権料を支払う米NBCは開催に肯定的で、IOCはこの意向を無視できないから、IOCも簡単に中止にできない。
勇気ある者はだれひとりいない
もし日本側が独自で中止と判断するなら、IOCは日本側に巨額の損害賠償を課すかもしれない。しかし、五輪組織委員会の武藤敏郎事務総長によれば、IOC、国際パラリンピック委員会(IPC)、政府、東京都、組織委員会での5者会議やIOC理事会でも、開催の仕方をどうするかということだけが議論されており、中止の話は一切出ていないという。
したがって、万一中止となった場合、IOCから何らかの賠償請求があるかどうかについては「考えたことはない。どんな事情かが重要ではないか。そんなことを言い出す人がいるのかも含め、予想がつかない」といっている。
IOCは「開催」が前提。ということは日本側から「中止」に関する話をまったく持ち出していないことがわかる。日本政府にも東京都にも、また五輪組織委員会のなかにもだれひとり、中止を議題に上げようとする勇気ある者はいないのである。二階幹事長が中止という可能性に言及したが、立ち消えになった。中止の可能性さえまったく考えていないのだから、このまま突き進んでいくのだろう。
太平洋戦争もこのようにしてなし崩し的に開戦まで突き進んだのか、という連想をしたくなるが、今回の主役はIOCである。ジョン・コーツがイタリア人なら、バッハとともに、日独伊の三国同盟だといいたくもなるが、そうはうまくいかないのが残念である(コーツはオーストラリア人)。
医者や経営者や有名人がいくら中止をいってみても効果なし。日本の世論や国際世論の大勢が中止ということになっても、これまた無力。しかしそんな反対の声を無視してまで、無理やりに開催して、いったいだれが喜ぶのか。世界から観光客はやってこない。観客は制限するか無観客でやって、だれが喜ぶのか。
40以上の自治体は海外チームの事前合宿の受け入れ中止を決定した。それでも海外からの選手団が1万5000人、関係者が9万5000人(うちメディア3万5000人)がやってくる。
無理やり開催して喜ぶのは誰か
菅総理は「選手や関係者の感染対策」をしっかりやり「国民の命と健康を守り、安心安全な大会の実現は可能」というが、これはただの空念仏である。なんの保証にもならない。1980年のモスクワオリンピック不参加のときの選手たちの無念はわかる。しかし今回開催されたとしても、選手たちも手放しでは喜べないのではないか。
といいながら、もし開催したらしたで、テレビが騒げば国民はけっこう盛り上がったりするのではないかという気もする。わたしもちゃっかりテレビを見そうだ。