アジは古くから食材や釣りの対象魚として親しまれ、現代においては釣り方も多様化している人気のターゲットです。
今回は早くも釣れ盛り始めたアジについて、古き先人のアジ釣りや食材としての関心を簡単にご紹介しながら、アジの生態や習性、沖釣りの釣り方と釣果との関係を少し紐解いてみます。
比較的よく釣れるので釣れ盛る時には「作業」になりがちなアジ釣りも、少し「味わい」を加えて想像を深めることで、一投ごとの奥ゆきを感じていただけると幸いです。
古き相模湾でのアジの船釣りと旬
関東でアジ釣りで対象となるアジの種類は比較的型が大きく回遊性の強い「セグロアジ」と、瀬に居着く「ヒラアジ」が主体となります。
同じマアジの種類ですが、見た目で体高の違いと体色が異なります。
前者は体高が比較的低めだが型が良くなる傾向、後者は体色は黄なりが強く、比較的型は小さめでも脂の乗りが良い傾向にあります。
相模湾で遊漁船のアジといえば、小田原、二宮沖、茅ヶ崎沖あたりが賑わいます。特に古くは茅ヶ崎沖から江の島の西の沖にかけてが名所。
以前にもご紹介の江戸・文政年間に書かれた釣り本『釣客傳』(1818~1830年「黒田五柳」著、小田淳氏が『江戸釣術秘傳』にて現代版に編集)にて、サバのタタキ(ミンチ)をコマセ袋に入れ、サバ皮のバケ(針に付ける疑似餌)を使った釣り方が紹介されています。
現在はイワシのミンチと竿を使いますが、当時は手釣りであったようです。
ただ、現代のようなリールや竿が発達する少し前の時代までは、手釣りが主体であったようなので、200年ほど前から脈々と現代に続くアジ釣りの歴史を感じます。
私は遊漁船にて、いずれの場所も釣行経験がありますが、セグロアジや平アジいずれも一定割合で混ざってよく釣れます。
特に茅ヶ崎沖は型が良く、初夏から夏にかけての産卵期には脂の乗りがとても良くなり、最高の食材になります。私は毎年、これを楽しみに足を運びます。
アジは古くから親しまれてきた食材です。江戸時代の浮世絵師、歌川広重 (1797-1858)が、描いた『魚づくし』という浮世絵シリーズの中に「車蝦・鯵にたで」という浮世絵(天保3~4年頃/1832~33年)にも現れてきます。
私が所蔵する復刻版を見るに、この「たで=蓼」として描かれている植物は殺菌や蓼酢として鮎の塩焼きに添えるなど、当時の「旬」を表現しているように思われ、「夏が旬」の食材であったようです。