mRNAを活用している独ビオンテックと米ファイザーのコロナワクチン(写真:AP/アフロ)

 複数のワクチンが世界で承認され、有効性が報告される一方、安全性に対する懸念も出始めている。独ビオンテックと米ファイザーのワクチン接種が広がったことで、名前を聞く機会の増えているのがワクチンの材料である「RNA」だ。

 筆者は医療関連のレポートなどで、遺伝子の説明をする機会が多いが、毎回どこまでDNAやRNAをかみ砕いて説明するかに頭を悩ませている。

 いつもできるだけ簡単に書くように心がけているが、とりわけRNAの説明はDNAとタンパク質にも触れた方がいいので複雑になりやすい。世にある数多の記事ではあまり深入りせず、RNAについてはさらりと触れる程度が多いかもしれない。

 ここでは何か考えるヒントにもなるのではないかという趣旨から、RNAについて詳しく書いてみようと思う。網羅すれば切りがないので、主に歴史を中心にしながら基本的な仕組みを理解してもらえるように書いてみよう。

遺伝子の解明に寄与したメンデル

 RNAの役割が解き明かされ始めたのは1950年代になってからなので、実態が科学的に理解されてからそれほど年月はたっていない。それから70年間、あらゆる角度の研究を経て、現在のワクチンにたどり着いた。後述の通り、ワクチンに使われる技術の基礎は1960年代に見出されている。RNA発見以前を含めた歴史を振り返れば、その実態に容易にたどり着いたわけではないということは言える。

 全体像としては「タンパク質」「DNA」、そして「RNA」の順で、体を形成するための「情報」の正体は解明された。

 最初に分かったのはタンパク質である。1800年から1900年にかけて少しずつ明らかにされた。その実態は、わずか20種類のアミノ酸が組み合わせの違いで、種類豊富なタンパク質を作り分けられるという絶妙な仕組みだった。この頃の科学者では進化論のダーウィンが有名だが、彼はその当時、遺伝の仕組みを知らなかった。

 20世紀に向けてタンパク質の解明からリレーをつなぐように、遺伝という現象がどうして起こるかの研究が進む。親子が似るなど、遺伝は古代から認識されたが、理由は不明であり続けた。

 遺伝の解明に大きく寄与したのは、生物の教科書にも名前が出てくるチェコの修道士メンデルである。伝記によると本業は全くできない男だったようだが、観察力と忍耐力に長けていたのか、メンデルは1万株ものマメの観察から、メンデルの法則と呼ばれる一定の遺伝のルールを見出し、「エレメント」が関係すると報告した。1865年のことで、まさに遺伝子に最接近した瞬間だった。だが、メンデルの発見は40年近くも科学界では無視された空白期間がある。

AP/アフロ) メンデルが導き出した「分離の法則」(写真:Science Photo Library/アフロ)

 同時期の1870年代に、ドイツではフレミングという科学者が細胞分裂を当時最新鋭の顕微鏡で観察し、分割した細胞に分かれる「糸」として報告。その後「染色体」と呼ばれる存在が明らかになっていた。こうした発見はあったが、遺伝子は信じられず、遺伝の正体は分からずじまいだった。

 その後、1900年代に入り、メンデルの説が追認され、ようやく遺伝子の原理は受け入れられた。事実、1903年に初めて「gene(遺伝子)」という名称が誕生している。ただ、正体はブラックボックスのままで、複雑な構造が既に見えていたタンパク質の性質から、その遺伝子の正体はタンパク質だろうと信じられた。遺伝子が優生思想と関連づけられるなど、戦前には歪んだ捉え方がなされた時代もあった。遺伝子の実態が見えないまま、誤解は実に1940年代まで放置された。