決死の覚悟で患者を守った医療従事者たち、病院は文字通りの戦場だった
市の総合病院のひとつ、大町病院には多くの寝たきりの入院患者が残っていた。原発から25キロのこの病院は「退避指示」の対象ではない。しかし、放射能汚染という現実は、この病院のスタッフにとっても重い現実だった。次々にスタッフが去っていった。結局、200人程のスタッフの内、残ったのは1割の20人程。その人数で、まさしく不眠不休で残った160人程の患者のケアを行ってきた。だが、もう限界なのは誰の目にも明らかだった。院長はその日、病院の一時閉鎖と入院患者の転院を決めた。
「スタッフの多くが避難してしまったが、彼らにだって家族はあるのだから、責めるつもりはない」
猪又義光院長は廊下の壁に寄りかかり、疲れ切った様子でそう話した。
「しかしなあ、薬ももうないんだ。食事の業者も来ない」
物流が止まって町がゴーストタウン化する中では、あらゆる物が不足していく。昨日からは食事も朝、夕の2回になっていた。