自らは安全地帯に身を置き、最前線で格闘する市職員に「取材代行」を依頼したマスコミ

 双葉町から北上して浪江町を抜け、南相馬市へ向かった。

 南相馬市は孤立していた。福島第一原発から20キロ圏内の地域には「避難指示」が、20~30キロの地域には「屋内退避指示」が出ていた。南相馬市の大半は30キロ圏内に入っているが、避難指示が出された20キロ圏内は市の南部だけだ。だがこの時点で、市外からの物流はほぼ止まってしまった。住民の大半はすでに自主避難していたが、自力で動く事のできない入院患者や老人世帯は取り残されているという。

 すでに報道の人間が押しかけて騒がしいのだろうと予測して訪れた南相馬市役所は、拍子抜けする程がらーんとして静かだった。報道車両はおろか、まったく人影もない。庁舎に入ると2人の職員がぽつんと机の前にいた。市長に面会を申し入れた。

 桜井勝延市長は心底怒っていた。国に対してである。南相馬市は差し迫った三重苦を抱えていた。巨大地震による家屋倒壊、津波による多数の行方不明者、そして原発事故による放射能汚染。

 市長の元には次々と難題が押し寄せていた。しかし、国に助けを要請しても、国は無能と断言してもいいほど無策だという。樹海迷路のようなたらい回しで、煙に巻かれ、未だに答えもない。またマスコミも放射能を恐れて近づいては来ない。あるテレビ局は市の職員に、「現状をビデオで撮影して安全地域まで持ってきてくれないか」と平然と打診したらしい。

「南相馬は国からもマスコミからも完全に見捨てられた」と、市長は憤怒を通り越し、自嘲の笑いを浮かべた。今はインターネットだけが現状を訴える手段だという。

 南相馬市では沿岸周辺の約1800世帯の家屋が壊滅した。そして今も、800人以上の住民が行方不明だ。

 しかし放射能汚染の影響か、行方不明者の捜索には殆んど手が付けられていない。津波が押し寄せた跡地は送電線の鉄塔が飴細工のように折れ曲がり、家財を濁流に浚われて原型だけになった家の屋根にカラスの一群がとまって鳴き騒いでいる。