たばこ好きであった父であるが、手元の乾燥たばこ葉を「葉巻き」や巻煙草として吸うことはなかった。いつも商品を買ってキセルに詰めて喫煙していた。

 自分の家だけでなく、耕作している近隣においてもほとんど聞いたことはなかったし、新聞が違反者を報道することもなかった。

 同様にコメからは酒ができる。戦後のどん底時代には密造酒が出回ったこともあるが、生活が安定して以降はほとんど聞かれなくなった。

 近代国家は税制度が確立し、密造酒や違反たばこ業者には厳罰が掛けられる。

 このこともあって、手の届く目の前に材料があっても、仕事としてコメやたばこ葉を捌くだけで嗜好心としての「興味」や「関心」はなく、また厳罰を受けてまでも密造しようという気持ちはさらさら沸かないようであった。

 戦前までは日本各地で大麻が生産されていた。

 特に北海道では明治政府が屯田兵に亜麻と大麻草を植えさせ、軍服やロープの原料生産を推進したことから25万ヘクタール(東京都の面積22万haより大)も栽培されていたが、これらが嗜好品として蔓延することはなかった。

禁止されているのは何か

 以下は赤星栄志著『ヘンプ読本 麻でエコ生活のススメ』や船井幸雄著『悪法!! 「大麻取締法」の真実』を主として参照する。以下、「ヘンプ」とは植物としての大麻草、「麻」とはヘンプの他に亜麻や苧麻などを含む一般名称である。

 大麻草には茎の形態から大別して日本種(カンナビス・サティバ・エル)とインド大麻(カンナビス・サティバ・インディカ)があり、マリファナ効果(向精神作用)を有するTHC(テトラヒドロカンナビノール)と、THCの作用を打ち消す働きがあるCBD(カンナビジオール)の2つの化合物の割合から、薬用型(THC > CBD)、中間型(THC = CBD)、繊維型(THC < CBD)の3品種に分類される。

 日本種は繊維型の大麻で吸飲・吸食する風習はなかった。

 従って、大麻草の法規制が初めて実施された1930年の「麻薬取締規則」ではインド大麻とその樹脂などを規制していただけで、大麻農家は全く規制されていなかったという事実を押さえておく必要がある。

 占領軍としてやって来たGHQが1945年10月12日、一方的に日本政府に麻薬に関する覚書を発し、11月24日付ポツダム省令「麻薬原料植物の栽培、麻薬の製造、輸入及び輸出等禁止に関する件」によって、大麻草を麻薬原料植物と定義した上で、その栽培、製造、販売、輸出入を全面的に禁止した。

 当時の日本は繊維原料としてばかりでなく、漁網や下駄の鼻緒などの需要が多く、また皇室をはじめとして神事で欠かせない必需品であり、麻の栽培は不可欠であった。