以前は2家族が住んでいた

敷地の周囲にある石垣に上ると、灌木越しに日本海が見える

 山頂にはほかに見るものもないので、そろそろ戻りましょう。下りは息が楽な半面、滑らないように足下に注意が必要です。膝や腰を痛めないよう気をつけながらであっても、上りの半分、15分程度で降りてこられます。

※山頂までの登山道は、草の生い茂る夏、雪のつもる冬、多くの雨が降ったあとなどで、歩きにくくなっていることもありえます。もしここに出かける際はご注意ください。

 漁港に戻る手前で、畑の作業をしている地元の女性に会いました。以前灯台に灯台守の2家族が住んでいたことを覚えているそうです。「その家の小学生は毎日山を下りてきて、私たちと同じ小学校に通っていましたよ。私たちも小さいころはよく灯台まで登ったものです。帰りなんか5分ぐらいで駆け下りてきました」。子どもはさすがです。

 そう、以前灯台には灯台守がいました。当初は光源の点灯や給油、機械の整備など、維持管理に多くの人手が必要だったのです。明治時代、立石岬灯台は「職員2人、水夫1人、小使1人、傭船1艘」という体制でした。しかし昭和時代になると灯台の自動化が進み、敦賀海上保安部のWebサイトによると、立石岬灯台は1961年に無人になりました。

現地の看板に掲示されている、明治時代の写真(灯台の左に事務室が見える)と敷地の平面図

 もちろん、職員が住んでいた建物はいま残っていません。灯台と日時計のほかは、わずかな跡が確認できるだけです。

門柱の外から敷地全体を見たところ。敷地は低い石垣で囲まれている

 設備や周囲は建造当時からだいぶ変わりましたが、石でできた灯台の主要部分は明治時代のままです。このカッコイイ造形が今後も長く保たれてほしいと思いました。