10月23日、朝鮮戦争参戦70年の記念大会で演説する習近平主席(写真:新華社/アフロ)

 米国との対立をますます深めている中国が、大々的な「抗米援朝(朝鮮戦争)」キャンペーンによって、愛国心や内部結束を固めようとしている。

 それに対して、北朝鮮や中国人民軍によって約18万人の戦死者と、約99万人の民間人犠牲者を出した韓国政府は、公式論評も自制するなど低姿勢で一貫し、韓国国民から非難を浴びている。

北朝鮮の南侵で始まった朝鮮戦争

 10月23日、北京人民大会堂では、「中国人民支援軍の抗米援朝出国作戦70周年記念大会」が開催された。習近平主席は、中国最高指導者としては江沢民前主席以来20年ぶりに出席し、中国人民支援軍が参戦した朝鮮戦争を「帝国主義侵略に対抗した正義の戦争」と力説した。

 朝鮮戦争は、1950年6月25日の日曜日未明4時頃、北朝鮮の奇襲南侵で勃発し、1953年7月27日に休戦協定が締結されるまで、世界の20カ国余りが参戦して3年1カ月間交戦が続いた。

 戦争初期は、兵力では10万対20万、戦車では0対242台など、北朝鮮に比べて絶対的な劣勢だった韓国側が3日でソウルが陥落される危機に追い込まれた。だが、マッカーサー陸軍元帥率いる国連連合軍の参戦によって戦勢が逆転。韓国軍と国連軍は9月28日にソウルを奪還し、10月1日には36度線を突破して平壌(ピョンヤン)を占領し、鴨緑江(アプロクカン)まで進撃した。

 しかし、10月25日に今度は中国の中国人民志願軍が参戦し、戦況は再び逆転した。その後、ソウルが再陥落され、後にまた奪還されるなど、二転三転する状況が繰り返されながら、戦線は休戦ライン付近で固着してしまった。

 1951年1月にソ連の提案で休戦会談が始まったが、韓国の李承晩(イ・スンマン)大統領の反対で協定を結ぶまではしばらく時間がかかり、1953年7月27日に、アメリカと中国、北朝鮮の3者による休戦協定が締結された。

 中国側の公式記録によるとこの戦争で中国の人民支援軍は15万2000人が死亡した。当時、毛沢東は「唇亡歯寒」という有名な言葉で参戦を決めたが、北朝鮮が米国の手に渡るようなことになれば、新生「人民民主主義国家」である中国の体制崩壊の危険を感じたのだ。